2010年9月5日日曜日

08 心配を吹き飛ばせ

メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
08 心配を吹き飛ばせ

人生の最も大切な目的は心の平安ですが、殆どの人が大切とは考えず、心の平安を持っている人は少ないのです。 もし大切だと考えているなら、その妨げになっているものは何かに気付くのに、こんなに手間取るはずはありません。

前に、大きな障害となる否定的行動パターン、失敗への恐怖と拒絶への恐怖についてお話ししましたが、これらのものは私たちの心の平安を乱す要因です。 それと、罪の意識、未熟者という意識、役立たずという意識、価値がないという意識なども心の平安を乱すのです。

さて、このセッションでは、こうした否定的感情についての、最後の鍵とも言うべき、否定的想像についてお話していきたいと思います。

この否定的想像という言葉は、今世紀の初頭に書かれたある文学作品から来ています。 この否定的想像というのは、私たちが、自分の中に創り出したもので、大きなストレスや鎮痛の原因となっています。 恐怖を呼び起こすと言っても良いでしょう。

最近目に付く、この恐怖の定義の一つは、現実的想像体験と言われているものです。 現実的想像体験、つまり、私たちが心の中で想像したことが、そのことに拘れば拘るほど現実味を帯びてくるのです。

私には子どもが四人いますが、せがまれてなんですが、彼らにホラー映画などを見せた後など、ベットの下や食器棚の中などに怪物が潜んでいるように思ってしまうのです。 想像したことを現実と思ってしまうのです。 あるとき、三番目の子どものミッシェルなど、寝室に怪物がいると言い張って、寝かしつけることができなかったほどです。

否定的想像とは何でしょう。  別の言い方をすれば、心配とか悩みです。 心配とは、優柔不断からくる恐怖の一環です。 優柔不断からくる恐怖の一環と言えます。 言い換えれば、決断を下せば心配など一掃してしまうのです。

数年前に数千人を対象とした調査が行われました。 現在の悩みは何かという調査です。 その集計をしたところ、次のようなものであることがわかりました。 悩みの40%は、有り得ないことについての心配でした。 後になれば起きるはずもないとわかった事柄です。 遅刻するのではとか、失業してしまうのではとか、期日に間に合わないとか、人間関係などです。 次に30%は、過去の出来事、今更どうにもならないことに対する悩みでした。 そして12%は、健康に関するもので、大部分、無用の心配でした。 たとえば、痛みや病気、不快感などですが、そう思っているだけで何の根拠もありませんでした。 10%は、まったく些細な悩みでした。 駐車料金が足りるだろうかとか、電話をくれるだろうかといった日常的な心配でした。 唯一8%の悩みだけが、大変重要なものでした。 このうちの半分、つまり4%は、自分の範疇外の心配でした。 どこかで戦争が起きやしないかといった類のものです。 そんなことを心配したってどうにもならないでしょう。 つまり、この調査でわかったことは、心配している悩みの96%、あるいはそれ以上が問題にならないもので、起こるはずも無く、心配に値しないものでした。

悩みはどこからくるのでしょう。 精神的なものです。 事実、もし両親が心配性な家庭で育ったとしたら、あなたも心配性になるでしょう。 これは条件反射なのです。

あなたにとって大切な両親が心配しているのを見れば、あなたも一緒になって心配をしてしまいます。 4,5歳の子どもで、すっかり心配性になって、いつも両親と一緒になって何でもないことを心配し続けている子どもを知っていますが、自分の空想を現実と錯覚しているに過ぎません。

さあ、そこで、悩みを消すのに役立つ秘訣を2,3お教えしましょう。

第一、最も一般的なものですが、これです。 日々を精一杯生きる。 日々を精一杯生きる。 明日のことは心配しないことです。 半年後、一年後にどんなことが起こるかなど心配せず、今できることを精一杯やることです。 ルーズベルトの素晴らしい言葉があります。 こんな言葉です。 「今自分の持てるもので今持てることをしなさい。そして、それ以外は何も心配しないことだ」 「今自分の持てるもので今持てることをしなさい。それ以外は何も心配しないことだ」

心配を克服する第二の鍵は、私自信、仕事上でさまざまな難問を抱えていますが、事実を把握することです。 これは重要なことです。 事実を把握する。 見せ掛けの事実、一点を捉えた事実、思い込んでいる事実ではなく、真実を捉えることです。 時間を掛けて状況を良く調べ、真実は何かを見つけてください。 殆どの心配は、十分に事実を把握できれば消滅するものです。

もし、誰かが何かをしたとかしなかったとか、仕事や生活や人間関係に変化があるだろうなどと耳にしたときには、確認するのです。 その人を呼んで、正しい情報を仕入れ、答えを見つけることです。 そうすれば、その事実によって心配は解消されるでしょう。 心配性の人の多くは、実際に何が起こっているのか確かめようともせず、ただ心配しているだけなのです。

人に尋ね、調査し、本を読んだり、下調べをして、事実を把握するのです。 仕事での成功にしろ、他の方面での努力に対する成果にしろ、大切なことは必要な事実を把握することです。 そうすれば、正しい最新の答えが見つかるでしょう。

第三は、ゴーストバスターならぬ、ウォリーバスターです。 心配事やっつけ人ともいうこの言葉は、このセミナーの卒業生が考えたものですが、文字通り、仕事や精神の病気に役立ったということです。 これは最も簡単なテクニックですが、強烈な効果があり、4つのステップから成っています。

まず第一ですが、もし気になることがあれば、書き出して明確にすることです。 書き出して明確にする。 落ち着いて書き出してみることです。 何を心配しているんだろうかと落ち着いて書き出すことです。 心配の種はこれで、その状況はこうなっていると書き出すのです。 医学では正しい診断ができれば、半分は治ったも同然と言われています。 正しい診断です。 書き出すことによって50%は解消するのです。

さて、ここで大事なことは、もしあなたがとてつもなく大きな問題を抱えていたり、複数の問題を抱えているのなら、これを複合状態と言いますが、まあ、大抵は3つや4つの問題は抱えているものですが、書き出して明確にすることです。 1,2,3,4、こんな風に小さな問題が重なって心配している場合は、その一つが解消すれば他の問題も自然と解消することもあります。 本当に大変なのは一つだけで、他は大した問題ではないこともあるのです。 問題を書き出して明確にすることです。

二番目、こうして書き出したら、ここが大切なのですが、最悪の結果を図ることです。 最悪の結果は何か、つまり、こうした状況の結果として予想される最悪の結果は何かということです。 そのままにしておいたら、どんな最悪の状態になるか、それを予測することです。 ところで、面白いことに、心配というものは事件そのものが心配の種ではなく、更にいえば、私たちを悩ますのは事件ではなく、その予感なのですが、そうならないようにと願ったり、祈ったりする心理的抵抗が心を悩ますので、もし、最悪の結果を心の中で予測し、書き出すことによって、起こりうる最悪の結果はこうなるだろうということを明確にし、紙に書き出せば、驚くほど心配は消滅します。 最悪の結果を認識すれば、心配は消滅するのです。

ストレスは、そうなりたくないと思うから起きるのです。 また後で話しますが、これは否定する心の表れです。 否定です。 たとえば、あなたが何かに投資したとしましょう。 そして、どんどん悪化したとします。 そこで考えるべきは、この投資の最悪の結果は何だろうかということです。 最悪はすべてを失うかもしれないということです。 いったんそう思えば、それ以上はあまり心配しなくなります。 結果がわかっているからです。

第三のステップ、ああ、その前に人間関係についてお話ししましょう。 時として、人間関係が不味くなることもありますが、さて最悪の状態は何でしょう。 考えられる最悪の状態とは、その人との人間関係を失うことですね。 だからって死ぬほどのことかい。 投資に失敗したからといって、失業したからといって、人間関係がダメになったからといって、死ぬほどのことかね。  答えはもちろんノーです。 どんな状況からでも立ち直れるのです。

さて、第三のステップです。 ところで、よく癌の兆候があっても、それを知らされるのを嫌がって、 医者に行こうとしない人が良くいますね。 知りたくないと思う気持ちが益々状況を悪化させることになり、やっと決心して医者に行ったときには、もう手遅れになってしまっている、癌だと告知されるのが嫌で医者に行かず、助かる時期を外してしまったのです。 で、第三、起こるべき、最悪の結果を受けて立つ覚悟をすることです。 起こるべき最悪の結果を受けて立つ覚悟をする。 受身になるとか運命論ではなく、ただ為す術が無くそうなるしかないのだったら、受けて立とうということです。

私が常に考えているのが、為す術が無いのなら、それに耐えよ。 為す術が無いのなら、それに耐えることと言うことです。 わかった、そうなるならそれを受け入れ、それと共存する術を学ぼう、それに潰されることもないし、死ぬようなこともないさと言えることです。

第四のステップ、最悪の状態をより良くするために、直ちに行動を起こすことです。 どういうことかというと、起きてしまったことに対してはそれを受け入れ、その状態とうまく共存していこうと決心することです。 そうなれば、事前にすべての手を打って、最悪は免れるようにするはずです。

仕事ではこれを、ミニマックスと呼んでいます。 つまり、大きな後悔を最小限に抑えることで、何が最悪なことであり、後悔を最小限にするためには、何ができるかという意味です。 このミニマックスの技法は素晴らしいテクニックで、心をすっかり晴れさせてくれます。 使い勝手からいって、最良の方法と言えるでしょう。

紙の中央にこのように縦線を引き、上の方に横線を引いてください。 そしてここにWPO、あ、失礼、ここには問題点を書いてください。 つまり、あなたが今悩んでいる問題点です。 そして、ここにWPO、最悪の結果と書きます。 そして、1、悩みはこれで言葉に出して書き込み、その最悪の結果はこれこれ、

2つめ、悩みはこれでこの最悪の結果はこれこれといったように書いていきます。 これをやれば、問題は解消されていくでしょう。 もちろん、全部というわけにはいきませんが、ストレスや緊張の殆どはなくなり、 心が澄み、その澄んだ心で、効果的な対処ができるようになるでしょう。

さて、心配事の否定的な現象に対する、最後のステップは、解毒剤は何かということです。 心配の解毒剤は何か、何だと思いますか。 簡単です。 目的を持った行動です。 心配に対する解毒剤は、これしかありません。 あなたにそういう行動を取らせるすべてのものが解毒剤なのです。

シェークスピアも言っているように、「困難な海に武器を持って立ち向かえ、そうすれば、いつかは終わりを告げるのです」。 目的を持った行動が取れるなら、何であれ、あなたの心配を取り除けるのです。 というのも、これこそが「置き換えの法則」だからです。

問題に取り組み、解決法を考え、目的のある行動を取れるようにしないと、常に心配に尽きまとわれます。 心配に当てるような時間は、なるべく作らないことです。 心配は、否定的目標設定と言えます。

前に「集中の法則」についてお話しましたね。 これは何であれ、拘れば大きくなるということでした。 心配事があるとき、どんな行動をしていると思いますか。 あなたの取っている行動と言えば、自分の望まないことについてクヨクヨと考え、話し、それに固執し、イメージしているだけなのです。 「期待の法則」とは望んでいれば実現するというもので、嫌なことをいつも考えていれば起きてしまうと本にも書かれています。 「引力の法則」は、自分の核となる考えに沿った人間環境や環境を引き付けるとしています。 心配に対していろいろなことを言ってきたのは、心配をまったくしない人たちもあるからです。

ところで、こうした最悪の結果を覚悟し、心配を吹き飛ばす方法は、同時に意思決定の素晴らしい方法でもあるのです。 何らかの状況に陥り、いずれかの断を下さなければならなくなったとき、まず考えるべきことは、起こりうる最悪のことは何かということです。

あの世界有数の資産家ホルゲッティも、この最悪を覚悟する方法を、自分の係わっている取り引きで段を下さなければならないときは、いつも活用していたと言っています。 どんな状況になっても、いつも彼は起こり得る最悪の状況は何かを考え、そうならない手を打ったのです。 さあ、たった今から、心配や想像と現実の錯覚などを吹き飛ばし、起こり得る最悪の結果を受けて立つ覚悟をし、心配事を克服し、常にできるだけ建設的な行動に全力を注ぐことを心に誓ってください。

これこそが、最悪の否定的感情を取り除く秘訣なのです。
 
 

07 心のブレーキをはずす

メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
07 心のブレーキをはずす

否定的感情の研究の中で、最も重要な発見、それは否定的感情を持ち続けている限り、健康、幸福、愛、充実感を手にすることも、前に進むことも望めないということです。 この感情の長所があるとすれば、フロイトの言うように、それは永久的なものではないという、この一点です。 潜在意識の中で、この感情が永遠に居座れる場所はありません。 言い換えれば、招かれざる客と言えるでしょう。

こうした否定的な反応や行動パターンは、取り除くことができます。 それがどこから来たのか、原因を突き止めることから始めましょう。 それにはまず、大人になった今でも抜けきれないでいる否定的にものを見る習慣が芽生え育った子ども時代にまでさかのぼって考えることが必要です。 幼年期の環境が大切なのです。

前に、この抑圧的、かつ強迫観念的この否定的感情のそもそもの発端は、激しい叱責を受けたことだと申し上げましたね。 この無思慮とも言える叱責は、すべてを壊します。 それによって、子どもは心が傷つき、表に放り出されたような気持ちになるのです。 人格が傷つき、破壊し、また自尊心を貶めるものとしてや、この無思慮な叱責以外は、思いつく限り他にはないでしょう。

激しい叱責は、殺し屋と言えます。 なぜ、そんなに悪いのかというと、子どもというのは幼年期から成長期の間は、両親の深い愛情を必要としているのは、みなさんもよくご存知の通りです。 事実、精神科医も心理学者も、心の病の第一の原因は、子ども時代に十分に親の愛情を受けられなかったことにあると言っています。

感化力を持つ人、すなわち、子どもにとって大切な人というのは、子どもに驚くほど大きな影響を与えます。 それに子どもというのは、6歳くらいになるまでは親から叱られても、それが正当なものかどうでないかを見分けることはできません。 特に、両親とか年上の兄弟、親戚などの感化力を持った人、あるいは大切な人の言うことは、すべて真実だと受け止めてしまいます。 そうです。正当性のある意見として受け止めます。

もし、母親に悪い子ねと言われ、父親からはお前は怠け者だと言われ、周りの人から当てにならない子とか、本当に不器用で可愛くないダメな子だねと言われると、子どもは正当性を見分けることはできませんから、すべてを正しい意見として受け入れてしまうのです。 それは意識を通り抜け、潜在意識へと直進し、蓄積されます。 そして、大人になっても、子ども時代にインプットされた否定的な情報を基盤として生きているので、自分はこんな程度さとか、昔からこうなんだとか、中には、これは家系でね、父親もそうだったし、子どもだってそうだよ、そうそう母親もそうだった、などと言うようになるのです。

どうでしょう。 家系なんてことは有り得ないのです。

例えば、私が成長期の頃は、大変な状況で、両親は大変なダメージを受けました。 ですから、その時代に何かをねだろうものなら、私の両親はキッとなって、うちにはそんなゆとりはないんだ、そんなゆとりはない、そして経済的、精神的ゆとりも無く、私の両親は一生を過ごしました。 ですから、私はこういう環境で育ったので、自身では恐慌を経験したわけでもないのに、10年、20年、30年、40年経った今でも、私にはそんなゆとりはない、私にはそんなゆとりはないと言ってしまうのです。 親がいつも深刻に言っていたことを、今でも影響を受けているのです。

あなたも私のように、いつも父親から何度も繰り返し、お前は何でも途中で投げ出す、お前は何でも途中で投げ出す、と言われませんでしたか。 私は大人になっても、物事を終わりまでやり遂げるのは大変苦手でした。 もうすぐ終わりになるという端になると、どうにかそれを遅らせる口実は無いものか必死になって探し出そうとしました。

さて、否定的感情を持つようになる第二の要因、それは愛の欠乏です。 子どもの人格は、両親が与える愛情の質の高さと、その量に応じて成長します。 愛情の量と質に正比例して、健全なる人格が育っていくのです。 愛情の不足とか愛情の欠乏が、成人時の不幸、否定的感情、心の病を引き起こす元となります。

さて、子どもが真の愛情を感じるには、高い自己概念を持つ両親であることが絶対条件ですが、残念ながら、多くの両親は彼らの両親の犠牲で、その両親はそのまた両親の犠牲者という具合なのです。 ある作家の言うように、みんな各々が犠牲者の犠牲者というわけです。 私たちの両親にしても、できるだけ良い方法で子どもを育てるつもりはあったのですが、彼らも犠牲者の一人なのです。

子どもが両親の豊かな愛情を感じるには、3つの条件があります。

第一の条件、これは両親が自分自身を愛していること、自分自身に対する愛の深さ以上には、他人を愛することはできないということを知っていてください。 自分すら愛せないのなら、子どもを愛することなどできません。 ホンの少しでも自分を愛しているなら、その愛を子どもに広げてください。 自分に対して少し愛情があったとしても、誰かにその愛を傷つけられると、子どもを愛したいと思っても愛そのものが無くなり、子どもを愛することができなくなります。 あなたの両親だって、あなたを愛したいと思ったはずです。

第二の条件、これは両親が互いに愛し合っていることです。 子どもが自信、つまり、自分が愛され安全で守られてると時間して育つには、まず、愛し合っている両親の存在が必要となります。 子どもにとって両親がいつも喧嘩ばかりをしていたり、両親の間に愛情も無く、生活の苦しい環境で育つことほど恐ろしいものはありません。 というのは、大抵の場合、子どもが第一の犠牲者となるからです。 こんな環境では、子どもはいつも怒鳴られるので、両親の仲が悪いのは自分のせいだと思ってしまいます。

さて、興味深い調査結果があります。 今日、片親だけの家族は数多くありますが、こうした別居とか離婚によって片親だけの家族になりますと、子どもというのはもう一方の親が出て行った原因はきっと自分にあると思い込んでしまうというものでした。 ですから、結婚生活が破綻し、片親が居なくなる場合、子どもを引き取った父親、あるいは母親が、子どもに、自分たちの関係がうまくいかなくなったのはあなたには何の関係も無く、自分たち自身の問題からなのだと、何度も何度も言って聞かせることが非常に重要になります。 子どもが自分のせいだと確信しないうちに、何度も繰り返し言って聞かせることが必要です。 もちろん、いがみ合ってばかりいる両親の元より、片親でも自分を愛してくれる親の元で育つ方が、子どもにとっては良いのかもしれません。

さて、第三の絶対条件は、両親が子どもを心から愛していることです。 たとえ子どもを愛していたとしても、その愛が心からのものでなくてはなりません。 わかりきったことで、理にも適っていますよね。 しかし、実際のところ、こんなことを考えるだけでも辛いのですが、両親が心から自分を愛していなかったということは有り得るのです。 そのつもりもあり、愛したいとも思い、愛情の対象として見てもいたのですが、夫婦の対立があったり、両親とのいざこざや戦争、不況があったり、仕事やその責任などで忙しく、そこまで気が回らなかっただけなのです。 ただ、そこまで気が回らなかっただけなのです。 生活が苦しかったかもしれません。 その気持ちはあったのに、気が回らなかったのです。

子どもを本当に愛することは、子どもと質・量ともに十分な時間を過ごしてはじめて成せるものなのです。 質・量ともに十分な時間を過ごすことです。 一日に十分程度ではダメです。 子どもは自分たちにとって一番大切な人が、自分と過ごしてくれるその時間の長さに応じて、自分の価値を図ります。 一番大切な人、つまり両親がわずかな時間しか一緒に居てくれないのは、それは自分に原因があると思い込んでしまうのです。 何か自分に決定的な欠陥があるから、両親が一緒に居てくれないのだと思ってしまいます。

子どもとは理性ではなく、感情だけで考えます。 つまり、両親が居るときは愛されていると感じ、一緒に居てくれないのは愛されていないのだと思うのです。 ですから、子どもの成長期にはこの三つの条件は最低必要条件となります。 自分を愛していない両親だったり、両親の仲が悪かったり、あるいは、そのつもりはあってもゆとりが無く愛情が注げないと、子どもはいつも酷い叱責を受けるため、罪悪感を持って成長していくのです。

罪悪感とは、自分が価値の無い存在だと感じることです。 こんな気持ちになるのは、自分の人生で最も大切な人から必要としてる愛も与えられず、絶えず激しい叱責を受けたことが原因です。 自分が価値の無い役立たずな存在と感じてしまうのです。 自分は価値が無い存在だと思わせます。 罪悪感は、無価値を生み出します。 自分は価値がない。

この罪悪感、自分が価値の無い存在だという感覚は、今世紀の問題となっている心の病の大きな原因となっています。 とりわけ、人間関係の悩み、心身症など、現代社会を悩ます殆どの問題は、心に深く根付いた罪悪感と、自分は大した人間じゃない、自分は大した人間じゃない、大した人間じゃないという考えが見え隠れする、この無価値感に原因があると言えます。

前にも自尊心が如何に大切かということを説明しましたね。 つまり、自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだという気持ちのことです。 小さい頃からひどく叱られ育った人というのは、自分を好きになれないばかりでなく、人の役に何も立っていない、自分をいつも感じるようになります。 そう、自己嫌悪に陥っているのです。 自分を嫌だと思い、自己非難をしています。 そういう考え方は、会話や人間関係に伺うことができます。

自己嫌悪を持っている人は、自分では良い人間関係を持ちたいと思っていても、その能力を持ち合わせていません。 自分を役立たず者といつも思っていると、人にもそれがわかるものです。 困った問題です。

では、罪悪感の主たる原因とは何でしょう。 実際はどこから来るのでしょう。  これには3つの否定的根源があります。 それは、否定的両親と否定的影響、否定的宗教の3つで、そのいずれもが罪悪感を悪用します。 特に、両親と宗教による自己非難は、2つの理由でこれを意図的に利用しています。

その一つは、罰を与えるためです。 子どもが何か悪いことをしたとき、自分が悪かったと感じさせるには罰を与えるのが一番簡単です。 親というのは、体罰、あるいは口で酷く叱って悪かったと感じさせようとします。 罰を与えることは、子どもを服従させたり、自分の思い通りにさせるには最も手っ取り早い方法なのです。

もう一つの理由は、良心に問うためで、宗教団体などはこれを意図的に利用して、管理、つまり人の感情をコントロールしようとします。 人の感情をコントロールするためなのです。 罪悪感をうまく利用すれば、人の心をコントロールでき、その行動をも操れるからです。 多くの宗教団体が、人をコントロールする道具としてこの罪悪感を利用しています。 もし、人の心をうまくコントロールできるのなら、その人は人のお金や時間、協力、才能などを思いのままに操れます。 事実、多くの組織には罰則があり、罪悪感をそのための道具に使っています。

良くテレビで宣伝しているチャリティー、特に恵まれない子どものチャリティーとか、身体障害者のチャリティーなどは、これを利用したものです。 これは、自分だけヌクヌクとしていて恵まれない人たちに悪いとは思いませんか、幾らかのお金さえ送れば少しは罪の意識も薄らぐでしょう、と言っているようなものです。

こんなことは日常茶飯事ですが、なぜこうも多いのでしょうか。 それは第一に、誰もが多少の差こそあれ、罪悪感を持っているからです。 第二に、最も簡単だからです。 親が子どもの罪悪感を利用するのは、なぜだと思われますか。 それはどんな場合でも、子どもをコントロールできるからで、どんなに遠く離れていても可能なのです。

親が子どもの罪悪感を利用するのは、自分たちもそうされてきたからなのです。 最も簡単な方法で、何の努力もいりません。 チラッと子どもを見て言えば良いのです。 人は最も楽なやり方を選ぶものです。 くれぐれも注意してください。

さて、こんな風に絶えずあなたも罪悪感を植えつけられて育ってきているので、きっとお分かりになると思いますが、この罪悪感というのは、ゴミ溜め、あるいは心や潜在意識に巣食って、あらゆる否定的な感情を育てるバクテリアのようなものです。 それは怒り、憎しみ、羨望、恨み、フラストレーション、欲求不満、懐疑、恐怖感等々の感情を繁殖させ、更にはそれらを操ります。 ですから、この感情を元から絶つには、追い払って完全に閉め出してしまうことが大切です。

そこで、その方法をお教えしましょう。

まず第一に、自分に罪悪感が根付いているかどうかをどのように見分けられますか。 まずはこれを、成人の罪悪感の兆候と名づけましょう。 ちょっとしたテストで、その重傷度がわかります。

まず、その兆候の一つに劣等感があります。 劣等感です。 これは自分が不適切、また不相応と感じることです。 自分は幸せに値しないと思ってはいませんか。 酷い叱責を受けながら育ち罪悪感が身についてしまうと、人はたとえ成功を手にしても後になって自分は本当はそれに値しないのではないかと考えてしまうような、とんでもない傾向があります。 これを成功への恐怖と言います。

こういう人間は、自分のことを価値の無い人間とか、大した人間ではないと思い込んでいるので、成功しても快適ではなく、大変緊張し、不安になってしまうのです。 事実、緊張が講じると麻薬に走ったり、アルコールに依存したりして、自滅的な行動をとるようになります。 それはまるで、誰かに見破られてしまうのではないかという、殺しがたい不安を持ってしまうからなのです。

ある本にも、何もかもウマくいくと返ってペテン師になった気分だと書いてありますが、それはペテン師症候群と呼ばれるものです。 皆さんも何かがうまくいった時に、周りから「おいすごいじゃないか」と言われたことがおありでしょう。 そんなとき、それがあなたの涙ぐましい努力の結果にも拘らず、さほど優秀でもないのにそんなことができたなんてまぐれ当たりもいいことさ、単なる偶然で、皆の言うようにたまたまうまくいっただけで次はきっと失敗するだろう、と自分でも感じてしまうことはありませんか。  こういう人たちは、この劣等感から逃れるためには、ありとあらゆることをします。 用心してください。

罪悪感の兆候の第二に、激しい自己叱責があります。 ある詩人の言葉にこんなのがあります。 邪悪なものに見せられたものは邪悪を行う。 2,3歳の子どもでさえ、激しい叱責をいつも受けていると自分自身をけなしたり、自らの心をズタズタにしたり、時には、自分自身を叩いたりして自分で体罰を与えたりするようになります。 これは、自分はまだまだ良い子じゃないかとか、大して良い子ではないという思いを自分を罰することで表現しているのです。 激しい自己叱責は、罪悪感や無能感を表す兆候です。

第三の兆候は、罪悪感によって操られることです。 あなたの罪悪感を引き出すなんて簡単なことです。 事実、人には2つのタイプがあることがわかりました。 罪悪感を植え付ける人と、植え付けられる人です。 これらの人々は、常に互いに惹かれ合うのです。 しかも、罪悪感を植え付ける人はその親も同様に植え付ける人であり、植え付けられる人もその親は同様に植え付けられるタイプです。しかし、この2つのタイプは互いに馬が合い、うまくバランスを取りながら自分たちの次の世代を同じように育てていきます。

こういう下地があるので、私たちは罪悪感を引き合いに出されると簡単に操られてしまうのです。 あなたの上司だって、あなたの罪悪感を引き出すことができますし、バスに乗り合わせた人だって同じことができます。 くれぐれも注意してください。

罪悪感の第四の兆候は、自分でもそれを利用できることです。 罪悪感と責任転嫁を惜しみなく使います。 なぜなら、あなた自身もそうされて来たのでお返しするのが公平な取引きというのです。 ですから、惜しみなく使うのです。 人間関係も、これを軸として形作られますから、何か不味いことが起きると人にこれを被らす、つまり責任転嫁をします。 問題が起きると、すぐ誰かのせいにしようとします。

面白い実験が数年前に行われました。 それは、さほど寒くない日に、あるはずもない氷を歩道に置いて、そこを通り過ぎる人がどう反応するかを見るものです。 通りを人が歩いてきます。 歩道に置いた氷を踏み、バランスを失って転びそうになります。 すると、自分の一番近いところにいた人をまるで酷く腹を立てているかのようにキッと睨みつけます。 つまり、その人のせいと言わんばかりです。 反対に、近くに誰もいなかった場合は、身体を立て直しながら、周りを見回し、本当に誰もいないとわかると地面を蹴飛ばし、踏みつけ、通り過ぎて行きます。

そうなんです。 人間には、何か不味いことが起きると、決まって誰かのせいにしようとする傾向があるのです。 いつも責められて育った人なら尚更のことです。

第五の兆候は、いわゆる被害者的発言です。 皆さん「集中の法則」を思い出してください。 何であれ、こだわれば大きくなるという法則でしたね。 ですから、被害者的発言をしていると、罪悪感も育ち、増強させ、確立させ、役立たせようとします。 被害者的発言は、できない、できないという言葉です。 自分にはできない、できないということは、潜在意識に語りかけていることであり、潜在意識は、あなたを役立たず者でコントロールも利かない憐れな者としてインプットします。 ですから、本当に何かやりたいことが見つかっても、この潜在意識が、キミには無理だ、キミには無理だ、と言ってしまうのです。

また、そうしなければと思ったとしても、どうしようもない、関係ないと潜在意識は答えます。 他にも注意しなければならない、被害者的な発言が2つあります。 1つは、まぁ努力はしてみよう。 どうであれ、努力はしてみようという言葉です。 これは本当に意味するところは、たぶん失敗するだろう、前もって断っているのだから、後でボクを責めないでくれと言っているのです。 他にも、なるべく間に合うように努力します、というのがありますが、たぶん遅れるだろうが、遅れたからといってボクを責めるのは間違いだと言っているのです。 努力だけはしてみようというのは、前もって失敗の言い訳をしているのです。

病院へ行って、医者の診察を受けたとします。 精密検査も受けて、医者から、「かなり酷い状態ですね。今すぐ入院してバイパス手術を受けなければ助かりませんよ。ここまで良く来られたものですね」と言われ、先生、手術は大丈夫ですね、と聞き返したとき、医者が、「ええ、努力はしましょう」と言われたら、どうしますか。 ちょっと待ってください。 他の意見も聞いてみたいと思いますのでとなるでしょう。

弁護士に事の成り行きを話し、「守ってくれますか」と言うと、答えは「努力してみましょう」。 つまり、弁護士は、「私の調べた限りでは結果は良くないでしょう。でも、一応引き受けましょう。努力はしてみます」と言うことです。 そして、前金を払わせようとします。

もう一つの禁句は、前にもお話しした「努力はしてみましょう」と関連しています。 「努力しています」の代わりに「やろう」あるいは「やるまい」を使うことです。 私は仕事で忙しい毎日を過ごしていますが、こんなときに誰かにものを頼んだりすると、必ず、「金曜日までにそれを届けるようには努力はしてみます」とか、「間に合うように努力はしてみます」とか答えます。 そう言われると、「あぁ、責任逃れをしたいのだな」と感じます。

私たちは「努力はしてみます」という言葉は使ってはいけません。 やれるにせよ、やれないにせよ、ハッキリとして欲しいのです。 必要なら取りに行っても良いのです。 努力はしてみましょうと言ったら、見栄を売っていると思ってください。 注意してください。

もう一つの禁句は、「だといいけどな」という言葉です。 この言葉は、自分の願望や目標に何のやる気も見えません。 この「だといいけどな」の意味は、「何かこうなるといいなと思っているけれど、そんな風になるわけはない」という意味が隠されています。 「もっと痩せたいな」という言葉の裏には、「それは無理だ」という言葉が隠されているのです。

なぜできないのでしょう。 できないわけは、すべての問題に関して回避しようとして、いつも言い訳をしているからで、どんな場合も理由付けします。 禁煙できたら良いのに、減量したいなとか、いろいろできたらいいのにと思うことがあります。 この「できたらいいのに」という言葉を使うことに、「それを達成したり、手に入れることは無理だ」と思っているシグナルが潜在意識に送られます。 そして、そのことを達成不可能な目標としてインプットし、達成するための活力、やる気、駆り立てる気持ち、欲求をあなたに与えようとしません。 ですから、被害者的発言には厳重に注意してください。

そしてまた、「はい、やってみます。でも…」という言葉にも注意しましょう。 誰かに、どうしてしないのと聞かれて、でも、と答えたら、この「でも」は消しゴムのような働きをします。 収入も増え、生産能力も上がり、人格も優れ、もっと幸せで、体重も落とせ、すべてがうまく行くのに誰かに言われて、「ええ、でも」と言ったら、その人のいった言葉をすべて打ち消していることと同じなのです。 あなたは潜在意識に不可能を伝達するので、その目標達成のための、何の努力も、エネルギーも、やる気も生まれてこないのです。

罪悪感を持ちながら育った人は、5つの特質、いわゆる兆候を持っています。 第一は、劣等感、無能感、自分は素晴らしいことに値しないと考えています。注意してください。 第二は、常に自分をおとしめて、自分を責めることです。 第三は、罪悪感を使い、自分や他人を責めることです。 四、罪悪感に操られてしまう。 五、被害者発言をする。

さて、罪悪感を無くすためには、どうすれば良いのでしょうか。 ところで、このこうはこんなにキレイに消えました。 私たちにも、すべてをうまく活かせる魔法の杖がすぐそこにあるのです。

さて、自分についている罪悪感を取り除くには、どうすればいいか、それには大変重要な2,3のステップを踏まなくてはなりません。

第一のステップは、まずはじめに、自己叱責を止めることです。 激しい自己叱責を止めてください。 もっと言えば、自分を酷く非難するような言葉を決して口にしないことです。 言ってはいけません。それが基本ルールです。 潜在意識は、あなたが口にしたことはすべて真実で、命令として受け止めます。 ですから、心からこうはなって欲しくないと思っていることは、口に出さないでください。 自分はデブだ、疲れたよとか、無理だ、こうしなくては、なんて言わないでください。 心から望んでいることだけを口にするのです。 「私は…」の後に続く言葉を、潜在意識は命令として受け止めますが、 「だといいけどな」とか「努力はしてみます」はダメです。 ただ、自分に関する積極的な言葉を使いましょう。

私は自分が好きだ、自分が好きだ、自分にはできる、絶対やってみせる、決めたんだ、決してできないなんて口にしてはいけません。

第二は、罪悪感に操られないと硬く決心することです。 罪悪感に操られることを拒絶するのです。 いつも、誰かにあなたの罪悪感を操られているとどうなるかわかりますか。 そう、あなたの人生に、罪悪感が及ぼす影響が益々増え、しかも強力になっていきます。 私の少年時代、私の家族は否定的宗教を信じ、その影響を強く受けていました。 実際、私の母などは、罪深さを強調する黒いベルトを付け、罪悪感の塊のような人でした。 私はその影響から抜け出すまで何年も掛かりました。

妻バーバラも、私と同じような家庭環境で育ちました。 そこで私たちは、本当の仕方を決めました。 それは、どちらかが一方が昔の癖に戻りそうなときには、 「私にまた罪悪感を思い出させるつもりはないでしょう」と互いに聞き合うようにしたのです。 「罪悪感を感じさせるつもりなんてないんでしょう」と言うだけで、この罪悪感によって人から操られることは無くなります。

第三に、罪悪感や責任転嫁を止めることです。 そんなものを利用しないと宣言してください。 他の人にもそれを用いることを止めるよう、子どもや配偶者にも、「罪悪感を感じさせるつもりはないでしょう」と言わせてください。 これを繰り返し、時には「もちろんそのつもりだよ」と言われても、「そんなことを言っても無駄さ。平気さ」と答えるようになります。 罪悪感に操られないように、くれぐれも注意してください。

第四は、「寛容の法則」と言われるものです。 これは最も重要な事項で、核ともいうべきもので、このセッションの真髄となるものです。 「寛容の法則」とは、腹の立つことがあっても、それを受け流し、忘れてあげることのできる人は、 健全なる精神を持っている証拠で、この人を許容できる能力こそ、人生でも幸せ、成功を決定付ける鍵となると言えるものです。 そしてまた、これこそが罪悪感を取り除く、ただ一つの方法でもあります。

あなたが人を許し、過去の嫌なことを水に流そうという気持ちは、大人として調和が取れた機能をしているかどうかを決める鍵でもあるのです。 というのは、人を責めたり恨んだりする傾向は、心が病んでいる人が共通に持っている子どもっぽい病的な傾向であり、反対に、腹の立つことを水に流し、人を許し受け入れる能力こそ、真に聡明な大人の証と言えるのです。 その通りだと思われるでしょう。

是非とも許すべき3人の人がいます。

まず第一に、両親です。 過去、両親があなたの傷つけたすべてを許すのです。 私たち大人が抱えている悩みの多くは、自分を傷つけた両親の行動を許せないでいることが原因となっているのは、調査の結果からも明白です。 手紙を書いたり、電話をして、許すと言ってあげてください。 少なくとも、心の中では許してあげることです。 100%許してあげなさい。

二番目は、周囲の人です。 誰も彼も許すのです。 何かのことであなたを傷つけてしまった人でも許してあげなさい。 水に流してあげましょう。 もちろん、中にはアイツには本当に酷いことをされたから許せない人もいるでしょうが、人を許すことは、まったく自分本位の問題です。 人を許すことは、他人をどうこうする問題ではありません。 それは単に、自分の心の平安と、心の調和の確立に係わる問題なのです。

第三、それは自分自身を許しなさい。 自分がしてきた維持の悪い、無分別な、間の抜けた、愚かな、馬鹿げたこと、すべてを許してください。 そんなことをするのは、何もあなたに限ったことではなく、私たちはみな同じことをしてきているのです。 さぁ、100%あなた自信を許してください。

最後に、もう一つやるべきことは、もし、あなたが過去に傷つけた人がいるのなら、言って許しを請いなさい。 たった一言、ごめんなさい、という、オオキやラッツ、そして勇気ない人によって、驚くほど多くの人々の人生が損なわれているのです。

人生で最も大切なことの一つは、人格を高めることです。 困難なことに挑み、正しいと信じることを行うことができるよう、人格を高めていきましょう。 それがたとえ、どんなに難しくても、また気持ちの上で無理があったとしても、それに挑戦してください。

罪悪感を取り除くにしても、十分に機能している人間になるためにも、人を許すことが決め手となります。 自分と係わりあった人たち、たとえば、昔の雇用主、あなたを傷つけてしまった友人、損をさせた投資会社、あなたを首にした上司、そして両親など、すべての人を許しなさい。 人に対して、いつまでも恨みを持つようなことは、きっぱりと止める生き方を培ってください。 そして、何度も何度も繰り返し、あの人を許そう、この人も許そう、すべてを許そう、あの人もこの人も許そう、すべてを許そうと言って忘れてしまうのです。

否定的感情から自分を解き放つ秘訣は、否定的な材料を明日へ持ち越さないことです。 それは、自分本位の行動なのですから、思うがままにすれば良いのです。 人を許すことは、あなたを解放し、他の人も自由にし、それはあなたの潜在能力の開花を急速に促すことに繋がります。

 
 

2010年9月4日土曜日

06 ネガティブな感情を取り除く

メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」

06 ネガティブな感情を取り除く

引き続き、責任と無責任についてお話しましょう。

私は1972年に形而上学に興味を持ち、人間の潜在能力の発達と心理について勉強していました。 そのとき、あることに思い当たりショックを受けました。 今でもショックが続いています。 それは、無責任さと否定的感情はリンクし合うということです。 リンクし合うというのは、つまり、否定的感情は私たちの人生を大いに阻んだり、ダメにしてしまうという事実です。

人生の目的は、言うなれば、より高い心の平安、幸福、充実感、満足感を得ることです。 落ち着いてこう自問してください。 人生の真の喜びと手にするのを妨げているものは何か。 その答えは決まってある種の否定的感情です。

さて、私たちはいつも日々味わっている否定的感情、誰かが死んだとか、莫大な被害に遭ったとか、とうことについてくどくど言うつもりはありません。 心の平安や健康、活力を奪い、豊かな人間関係、経済的自由、充足感などを蝕むものについて、話すつもりはありません。

ここでは、その否定的感情を取り除くことから責任感を持つということについて話したいと思います。 これは私にとって人生最大の発見の一つですが、つまり、こういうことです。

表を書いて説明しましょう。 こんな表です。 上から下へと書いていきます。 この高いところは、非常に責任感の強い人を表し、こういう人は自信にみなぎり、自分に責任が持て、言い訳など絶対にしません。 一方こちらは、無責任な人を表し、こういう人は何事にも言い訳をする人です。 ここが積極性の最高で、こちらが最低です。 私たちは誰でも、何か決心をするときに、この表を行ったり来たりするのです。

さて、私が閃いたというのは、前にもちょっと触れましたが、人生の舵を自分で握っていると感じるその度合いは、自分の積極性や幸福の度合いと正比例するということです。 つまり、自分で引き受ける責任の度合いと、自分で人生をコントロールしている度合いは正比例の関係にあるのです。 また、責任を引き受ける度合いは、自分が持っていると感じる自主性とも正比例すると言えるでしょう。 自主性というのは、幸福の絶対条件です。 真の成功、真の幸せとは、周囲の意見ではなく、自分の生き方を自分の意思で決め、自由に生きることを言います。 鳥のように自由に羽ばたくことなのです。 そうです、責任、コントロール、そして自由は直接関係し合い、更にこの3つは積極的感情とも直接結びついています。

さて、積極的感情はすばらしい感情で、幸福、愛、喜び、活力、エネルギー、豊かさ、情熱、興奮などを指します。 しかし、反対に、もう一方の端は無責任な生き方を表すものです。 どうなると思いますか。 私もどうなるかわかったときには本当にショックでした。 というのは、コントロールを失ってしまうのです。 無責任であればあるほど、コントロールを失い、心の均衡が崩れてしまい、自分の人生の舵取りもできなくなってしまうのです。 自分の人生の決定権を失い、しかも、外的な力によって翻弄され、言うなれば、外的力の犠牲者になってしまうのです。 このコントロールと自主性の欠如は、否定的感情への第一ステップと言えます。

このことがわかりかけたとき、私はなるほど、でも両親や自分の子ども時代はというと、仕事にも恵まれなかったし、大した友達もいなかったし、体の調子も、健康だって、経済的にも大したことはなかったなぁと思いました。 同時に、こういうことは忘れることに気付いたのです。  あなたの最終目的、目標が、幸福感とか喜び、自主性、情熱などの積極的感情に満たされることならば、言い訳などしないようにすることです。

精神分析医として有名なカール・ネルガーは、こんな面白いことを言いました。 つまり、肉体的疾患にはいろいろあり、その原因もバクテリア、ウイルスなどといろいろだが、心の疾患は皆同じであり、違うのはその程度の差が大きいか小さいかだけだ、と。 更に、精神科医のトーマス・サレズは、心の疾患の神話という著書の中で、 「心の疾患などというものは無い。それは単にさまざまな度合いの無責任さに他ならない」と言っています。

無責任な人というのは、悲観的、否定的というだけではなく、心が病んでいる人でもあります。 反対に、すべてに自分の責任が取れる人は、心も健康です。 どう思いますか。

さて、私は皆さんを向上心溢れる人にだと思います。 こういうセミナーに参加するほどですから。 自分の会社の業績にどれくらい責任を持とうとするか、その量の大きさと会社で得られる権力、影響力、地位の高さとは切っても切れない関係にあるのです。 それは将来ともに係わってくるのです。

責任感のグラフでトップにいる人は、責任を全面的に取れる人で、権力やチャンスはこういう人たちのところに引き寄せられるのです。 反対側の端は、無気力で、ここに居る人たちというのは、まったく無責任でコントロールを完全に失っています。 こういう人たちには強制服を着させ、安全保護室に閉じ込めるのが本人の為でもあり、周りの為でもあるのです。無気力でコントロールが効かず、自主性が無いのですから。

さて、自分で責任を取ろうとするたびに、このグラフの上へと動いて行きます。 反対に、言い訳をするたびにグラフを下降します。

では、否定的感情と無責任さとの関係について、もう少し詳しくお話しましょう。 そうすれば、もっと良く理解できるはずです。

たとえば、そう、ここに木があるとします。 いいですか、これが幹で、これが葉です。 これを否定的感情の木とでも呼びましょう。 この木には否定的感情しか実りません。 たとえば、恐怖感とか不信感がそうです。 その中でも、自己不信が最悪だとする意見が多々あります。 この感情は、酷く人を消極的にします。 更に、憎しみという否定的感情があります。 羨望や恨み、これに準じる罪悪感があります。 根強い否定的感情です。 否定的感情には54種類あると言われていますが、今言った感情は常に上位を占めています。 もし、こういう否定的感情を煮詰めていくとお気に入りの感情が残ります。 人というのは、何かしらお気に入りの否定的感情を持っているもので、嫉妬心の場合もあるでしょうし、自己憐憫などもかなり多くあります。 更に煮詰めていくと、最終的には怒りの感情になるのです。 それが、内側に向けばこれは自分が傷つきますし、外側に向いたときには人が傷つきます。

さて、ここでこの木の構造を調べてみましょう。 この木には根があります。 この根から栄養が送られて木が育ち、花が咲き、否定的感情という実が育つのです。 根を調べると、何が栄養になっているのだろう、何が否定的感情を育て、肥料は何なのだろう、何を燃やしているのだろう、何を埋めるのだろうと疑問に思います。 そして、木が生きるには2つのことを必要とすることがわかります。

1つは自己正当化です。 自己正当化、つまり、なぜこうした感情を持つのか、その正当性を自分や人に対して言い訳をするのです。 もう一つは、いわゆる自己同一化です。 つまり、物事を自分と結びつけて捉えます。

人というのは、自分が自分の弁護士になるなんてそんなことはありえませんし、自分が自分の医者にもなれるわけはありません。 というのは、あまりにも自分とその状況とを結びつけて考えるあまり、非常に感情移入がされて盲目的になるからです。 ですから、大いに説明できるような正当な理由が無ければ、否定的感情など持つ必要はありません。  この感情には、自己の正当化と自己同一化が必要になります。

たとえば、もし誰かが今駐車場で他の車にぶつけてしまったと言ったとしても、自分の車と関連付けない限り、あなたは何の動揺もしませんね。 しかし、もし彼らのぶつけた車があなたの車で、そのまま逃げられてしまったとしたら、それこそ本当に頭に来るでしょう。 しかし、このような反応は自分が選んでいるのです。 これについてはあとで説明しましょう。

さて、自己正当化はどうすれば無くせるか、また否定的感情の根を絶やすにはどうすればいいのでしょう。

この木を枯らすには、物事を裁かないようにすることです。 聖書にも裁かれたくなければ裁くなと書いてあります。 取り分け、聖書は哲学書であり、物理学、生き方の教科書でもあります。 物事を裁くのをできるだけ避けなさい。 あの人のせいだとか、この人がしたことだと言って裁かずに、オープンで偏らないようにしてください。 偏らないことが秘訣です。 これで否定的感情を抑止できます。

否定的感情については、長年の研究の結果、これは火花のようにスパークするということです。 私たちが、この感情に拘り、正当化し、結果を裁こうとすれば、それは大きくなります。 そしてついには、心を埋め尽くしてしまいます。

次は、自己同一化についてですが、 これに対して成すべきことは、非同一化することです。 客観的に偏らずに捉えてください。 一歩引いて捉えるのです。 問題があるが、私がその問題ではないとか、障害があるが、それも私ではないなどと思ってください。

まず、この2つの正当化と同一化を止めるのです。 物事を自分と結び付けないで、感情移入をしないことです。

こんな経験はありませんか。 何か悩みを持った人が相談に来たとき、あなたの方があまりにも感情移入して係わる為に、本人は当にケロリとしているのに、自分はいつまでもカッとなっていたりしたこと、これは物事をあまりにも自分と結びつけて考えてしまった結果なのです。

しかし、ここに否定的感情を取り除く秘訣があります。 これが最も重要なことですが、この幹、幹から切り倒すことです。 この幹とは他人のせいにする感情のことで、否定的感情の99%も占めるのです。 このような否定的感情がどこから生まれるのかを知ることは大変重要です。 これは内面から外へ出される感情で、外的なものに端を発していません。 つまり、周りの人や状況から生まれるものではなく、周りの状況への反応の仕方から生じるのです。

良い例があります。 二人の人が同じ状況に遭ったとします。 交通渋滞とか、態度の悪いウエイターなど、何か事が起きると一方頭に来たり、イライラしたり、怒ったりしますが、もう一方の人は悠然としているのです。

また、こんな例もあります。 同じ人でも、日によって違います。 会社に遅れそうになって慌てて家を出たところ、交通渋滞に巻き込またりします。 すると頭に来てイライラします。 でも、次の日は早めに起き、余裕を持って会社に出掛けます。 そこで、交通渋滞に巻き込まれても、まったく気にならないのです。

この2つの話は、否定的感情が状況から生まれるものではないことを表しています。 つまり、生活の上で、どんな質の感情を選ぶかはあなたの自由です。 怒りたければ怒ればいい、いいですか、誰かに言われたわけではないのです。 怒りにせよ、緊張にせよ、またイライラにせよ、誰にもそうしろと言われたわけではありません。 どんな気持ちを持つかは、あなたの自由裁量です。 ですから、気をつけていないと、いつも人のせいにするような否定的行動パターンが癖になってしまいます。 これは、否定的感情の核を成すものです。

人のせいにすることを止めれば、この否定的感情の木を切り倒せます。 そうなれば、一瞬のうちに否定的感情を元から絶つことができます。 ちょうど、この否定的感情はクリスマスツリー、いや、それよりむしろ、フラグに繋がれたチカチカ光る豆電球のようなものです。 この豆電球のプラグを引き抜くと、どうなると思いますか。 そうです。 明かり、つまり、否定的感情は一瞬にして消えてしまいます。

そうなるためには、どうするか。 「置き換えの法則」を活用すればいいのです。 この法則は、意識は一度に一つのことしか考えられないと言っています。 どういう感情を持つかを決めるのは、この意識です。 そして、潜在意識に作用しています。 この意識は、一度に一つのことしか考えられないのです。 ですから、否定的感情の元凶となる「人のせいにする考え」を叩き出してください。 代わりに、私は責任が取れる、私は責任が取れると断言すれば良いのです。

これを、私は自分が好きだ、という言葉を一緒に言えば、これほど積極性を養うのに効果的な言葉はありません。 私は責任が取れる、と言った瞬間にあなたはもう人生のハンドルを握っているのです。 この言葉を言って、否定的感情に成ってしまう人は居ません。 これで意識の中からマイナス思考を叩き出しましょう。

さあ、始めてみましょう。 誰だって腹が立つことはあります。 そのことのことを思い出すだけで、腹が立つこともあるでしょうし、そのことのことを考えただけで、腹が立ったり、気が滅入る場合もあるでしょう。 この状況に陥りそうになったとき、こう言って中和してください。

ちょっとまてよ、それは自分の責任なんだ。

悩みや人間関係ですか。では、そうなったのは誰のせい。 銃でも突きつけられましたか。 それとも、自分で招いたのですか。 悩みは仕事ですか。 それとも、投資問題、健康問題かもしれませんね。 何にせよ、自分で責任を取るのです。
さて、責任を取ることと、ちょっと書いてみましょう。 責任と責任転嫁の違いを考えてみましょう。 責任転嫁をするときは、いつも過去に目を向けています。 もうどうにもならない済んでしまった過去に目を向けているのです。 それに対し、責任を取ることは未来に目を向けています。 中には、責任を取るということは、責めを負うことと同じではないかという人がいますが、それは違います。 この瞬間から、自分の考えに対して、責任を取ることを言っているのです。

さて、駐車場の話に戻りましょう。 誰かがあなたの車にぶつけました。 さあ、そこで選択です。 怒ったり、頭にきて怒鳴り散らすのもいいでしょうし、落ち着いた態度で臨むのも良いでしょう。 また、犯人を必死に探すのも自由ですし、分別ある態度で臨むのも自由です。 責任を取るということは、いつも未来を見つめて、何か事が起きたときには、誰がしたのかではなく、これから何ができるかを問題にしてください。 これから何ができるかです。 これからどうなり、それに対して何ができるか、こう考えるのが責任ある人の態度と言えます。 過ぎたことをあれこれ言わず、解決方法は何だろうと考え、見つけ出してください。 これが必勝法です。

反対に、無責任な人はいつも誰がやったかを問題にし、その犯人を執拗に見つけようとします。 どんな責任でも皆に割り当てないと気が済みません。 無論、こんなことをしても何の解決にもなりません。 ですから、否定的感情を無くすコツは、まず斧を使って責任転嫁の幹を切り倒すことです。 責任転嫁を止められるようになれば、輝かしい未来に向かって離陸です。 責任転嫁をしないことは、否定的感情も無いわけですから、あなたが望む幸せを邪魔していた物事が、突然姿を消してしまいます。

私がこの否定的感情に拘るわけをもう少し詳しく説明しましょう。

実は発見したのです。 私も潜在能力を発揮したいと強く思っていたので、おの発見は驚きでもありました。 それはまず、自分の否定的感情を取り除こうと思わなければ、人は前に進めないということです。 つまり、進歩できないのです。 自分の否定的感情を今この瞬間に捨ててください。 さもなければ、一歩も前に進むことはできません。

ところで、周囲の人や状況に対する否定的感情を持っている場合、これはなかなか責任を取るという気持ちにはなれないものです。 初めのうちは、私に責任があると言いにくいものです。 というのは、責任転嫁が癖になっているからなのです。 でも、時には歯を食いしばって、自分の責任だ、自分の責任だ、と言ってみるのです。 自分の責任だ、自分の責任だ、と繰り返し言えば言うほど、だんだん簡単に言えるようになります。 事実、「置き換えの法則」を活用すれば、たとえ嫌なことを思い出しても、自分の考えと中和することができるようになります。 それでこう言ってください、私の責任だと。

苦手な相手との付き合いに応用する言葉があります。 これは自尊心と否定的感情を絶つことにも関係しますが、この言葉です。 たとえ人に何を言われ、されようと、私は貴重な価値ある存在だ、あるいは、状況がどう変わろうとやはり私は貴重で価値ある存在だ、状況がどう変わろうと私は貴重な価値ある存在だ、という言葉です。

人生の自然の流れは長い道に喩えることができます。 幼い頃は最初から否定的感情などありませんから、誰かが子どもに教えているに違いありません。 子どもは両親から教えられ、身に付けていくのです。 否定的感情を持っている赤ん坊など見たことがありますか。 いつもニコニコしていて、幸せそのものです。 赤ん坊が泣くのは、何か欲しいときだけです。 成長するに従い、周囲の大人の影響を受け、この感情が生まれ、それを背負って生きます。 十代になると、この荷物はもっと大きくなり、仲の良い友達と集まっては夜通し、子ども時代は惨めだったとか、両親や兄弟、先生たちはなんてくだらない人たちだ、などと話し合ったりします。

では、大人になったという証はなんだと思いますか。 それは否定的感情の大きな荷を背負って苦しむこと、これが証です。 苦しむことが証なのです。 つまり、人と居るときはいつもガードを解いて、悩みや苦しみなどの殺し合いをするようになります。 つまり、否定的感情をやり取りすることが、人間関係の基になってしまうのです。

悩みを聞かせてくれれば私も話そう。 こんな子どもじみた行動は、まるでガラクタ市の商人と同じで、さあ見てくれ、惨めなる子ども時代を、酷い人間関係を、出来の悪い上司を、まったく散々だと言ってるようなものです。 そして、互いに嘆きあっているのです。 こんな風に否定的感情を話し合ったり、考えたりしているとどうなると思います。 「集中の法則」です。 なんであれ、こだわれば成長します。 成長して、力も強くなり、活き活きしてきます。
ところで、私も研究するうちにわかったのですが、否定的感情はとても脆く、拘りが必要です。 いつも鮮明にして居たければ、言い続けることが必要なのです。 常に口に出していることです。 さもなければ、たちまち枯れてしまいます。 死んでしまうのです。 また炎のようでもあり、絶えず燃料を補給しないと炎は弱くなり消えてしまいます。 同じように、否定的感情もいつも口に出していなければ、いつも拘っていなければ消えてしまうのです。

しかし、何かすごく心配したり、頭にきたりして、いつもそのことで頭がいっぱいになっているのに、仕事に行って3、4時間忙しくて、それ以外は何も考える間もなく働いていると、ふと、あれ、悩みを忘れてしまった、そうだ思い出した、なんて経験、皆さんもあるでしょう。 何が起きたかというと、悩みが消えかけているのです。 炎のように消えかけているのです。 ですから、元の悩んでいる状態に戻るには、努力して思い出して考え、話、悩まなくてはなりません。

こんなこと良くありますね。

でも、分別のある大人なら、こんな感情は道端に捨て、前向きな人生を歩み出し、歩いていきます。 これからの人生をうまくやっていくのです。 わざわざ掘り起こすさずに捨てていきます。 それはまるで、回収されないゴミの山のようです。 そうすると、人から調子はどうだい、うまくいってるかいと聞かれれば、最高さと答え、人間関係や健康、気分について聞かれれば、絶好調と答え、決まって否定的なことは口にしません。 否定的なことを口にすると、それは育ち、ひいては悪いことを引き込んでしまいます。

悩んでいる人を観察したください。 こういう人たちは、悩んでばかりいて、解決方法を見つけ出そうともせず、常に愚痴を溢しています。 持てる者は更に与えられ、持たざる者は更に奪われるということです。
もう一つ、これも研究の結果わかったのですが、 人間関係に関する重要な点は、誰でも悩んでばかりいると、悩むこと自体が好きになります。 つまり、悩むことに生き甲斐を感じるのです。生き甲斐になるのです。 それだけの代償を払った気になってしまい、つまり、長年悩みを抱きながら暮らしてきたため、それを手放そうとはしません。 そうです、放そうとはしないのです。 たとえ、ねえ、どうして忘れようとしないんだい、捨ててしまえばいいのにと言ってあげても、無理だよ、君にはわからないよ、人間関係にせよ、仕事にせよ、昇進にせよ、どれだけの想いをしてきたことかと反論するはずです。

私も人間関係で悩んでいる人たちの相談に乗りました。 彼らは決まって、私はもう長い間こんな人間関係、こんな結婚生活を続けてきたが、本当に惨めな気持ちだ。 もう愛情も無いし、どうなるものでもないというので、なぜ何とかしないのですか、と私が言うと、今更何をと答えるので、君今我々の平均寿命は75歳から80歳なんだよ。 それでも年々伸びて、今世紀の終わりには80歳から85歳、いや90歳になるだろう。 どういうことかわかりますか。 あなたは今何歳であろうと、20歳、25歳、あるいは35歳であろうと、そんなことは問題ではありません。 平均寿命の80歳から今の年齢を引いた年数、この年数を現状のまま過ごすことになるんですよ。 こんな現状のままで残りの人生を過ごしても良いんですか。 もちろんノーですよね。 こんな状態が続くなんて。

悩むことが好きな人がいます。 こういう人は、悩みを手放そうとしません。 そこで思いついたちょっとした解決法があります。 それを最近、あるカウンセラーに話したところ、実に簡単な方法だと太鼓判を押してくれました。 どんな方法かお教えしましょう。

これはもし誰かに相談に乗って欲しいと頼まれたときは、イエスと言って親身になって話を聞いてあげるのです。 その人の話に耳を傾け、全部吐き出させてあげることはとても効果があります。 中には愚痴ばかり並び立てる人も居ますが、こういう人に対してはじっくり聞いてあげることです。 また、同じ事を繰り返し話す人には、頃合をみてこう言ってください。 う~ん、ほんとにそうだね。 気持ちは良くわかるよ。 でも、自分の人生には責任を持たなくてはね。 責任があるんだよ。それでどうしたいの。 自分の人生に責任を持たなければね。 どうしたら良いと思う。 こう聞くと、きっとあなたの友達は、確かに君の言うとおり、自分で人生を変えなくてはね、なんとかしなくては、と答えて、本当にそうするよう努力を始めるはずです。

事実、悩みを持った人が来て、いろいろ悩みを話したら、ただあなたは、では君はいったい何をすべきだと思うかね、と言ってあげさえすればいいんです。 そうすれば、あなたの友人は話しながら、自分の考えをまとめ、自分で解決法を見つけます。 本当はアドバイスなんて必要としていないのです。 大抵の人は、アドバイスを求めていないのです。 昔から、アドバイスをしたって、その通りにする人はいないのだから、アドバイスをしようとして気を揉むことはないと言われているように、人はアドバイスを求めているわけではなく、ただ共鳴してもらいたいのです。

しかし、中には問題に取り組もうとさえしない人も居ますが、こういう人は、悩みを種にして、あなたに聞いてもらう切っ掛けが欲しいだけなのです。 悩みを種にしているんです。 わかるでしょう。 自分の悩みを話の種にしようとすることは良くあります。 私の悩みはこれだ、一緒に話し合おうじゃないか、と言うようにね。 あなたにはまったく興味は無いんです。 相手は誰でも良いんです。 ただ、聞いてもらいたいだけなんです。

よく冗談で言うんですが、こういう人はあなたのことをこんな風に見ているんです。 いいですか。 こんな風に見ているんです。 これが顔、目、耳という風に捉えています。 そして、ああこの人の目は大きくて、同情的な目で、口は閉じてるけれど、耳は立てて聞こうとしていると思っているんです。 人間として見てないのです。 そして、あなたの悩みにも関心がありません。 ただただ、あなたに聞いてもらって、同情して相槌を打って欲しいのです。 アドバイスをしても従うつもりはありません。
こういう人と出会ったら、友情テストする簡単な方法があります。 それはあなた自身の話をしてみるのです。 君が相談に来てくれて本当に嬉しいよ。 私にも悩みがあってね。 折り入って相談したいと思ったんだ。 次の瞬間、そういう人は時計を見て、あっ、約束を思い出した、と言って、そそくさと立ち去るでしょう。 その早いことと言ったらありません。

さて、最後の重要なポイントに進めましょう。 このセッションで最も肝心なポイントです。 言うならば、まとめとでも言いましょうか。 私が否定的感情を捨てましょうと言うと、誰もが決まって、はいおっしゃるとおりです、筋の通った話しです、私もこの感情を捨て、もっと自分の人生に責任を持とうと思います。 自分の人生は自分でコントロールし、責任転嫁は決してすまい。 ただあることを除いては、と言います。 一つくらい捨てきれないものがあります。 長年苦しんで抱えてきた否定的感情が一つあるものです。 でも、是非捨てなくてはいけません。

その理由を説明しましょう。

ここにすばらしいベンツがあるとしましょう。 ピカピカの新車、600SELで20万ドルもするものです。 どこをとっても完璧な車です。 傷もありません。 ただし、この車のフロントの部分に、ちょっとした問題があるのです。 メカニック上の問題で、ブレーキがロックされてしまっているのです。 あなたのように美しい心と体を持ち、潜在能力にも恵まれ、すばらしいボディに内装、秘めた力を持ち、馬力十分で、キャパシティも驚くばかりです。

さて、600SELのベンツに乗り込んでアクセルを踏んでください。 さあ、どうなるでしょう。 ブレーキはロックされたままです。 そうです。 たとえあなたがアクセルをどんなに強く踏み込んでも、この通り、車はスピンしてクルクル回ってしまいます。 アクセルを放さない限り、スピンし続けます。 フロントブレーキがロックされている限りは、車は前には走らないのです。

つまり、こういうことです。 この否定的感情がたった一つでも残っていれば、それがどんな理由であれ、大体はエゴからくる理由なんですが、同じ場所でスピンしてクルクル回り続け、一生、そこから一歩も先には進めなくなってしまうのです。 才能に恵まれ、チャンスにも恵まれて、教育も高いのに、いつも堂々巡りをしている人がいますよね。 少なくとも、そう見える人がいます。 すべてに恵まれ、うまく行っているのに、次々と悩みを抱える人がいるのはなぜでしょう。

精神分析によると、こういう人は決まって否定的感情、言うならば、その感情の核となる責任転嫁の癖が当たり前になってしまっているのです。 いつも誰かのせいにします。 誰かに酷いことをされて、あいつのせいだと未だに忘れられず、許せない人が居るのです。 思い当たるでしょう。

というのは、私たちは皆、同じ人間だからです。 私もあなたも、わざわざ悩みを抱え込もうとする傾向にあるので、この話が良くわかるのです。 人は十字架を背負いたがる傾向があります。 そして、こういう否定的感情も人間性の一部だと思ってしまいます。 誰かのせいにできないかと考える傾向にあるのです。 あの人は私を傷つけたとか、騙したとか、人間関係をダメにしたと考えやすいのです。

すばらしい実績、最高の幸福、成功への鍵は「置き換えの法則」を活用して、否定的感情を叩き出すことです。 誰かにストレスを与えられてると考えたら、すぐに私の責任だ、ちょっと待てよ、私の責任だ、私の責任だ、私の責任だ、私は自分が好きだ、私の責任だ、自分が好きだ、自分の責任だ、と交互に私の心の平安が崩れたのは誰のせいでもない、私の感情も人生も、すべて自分がコントロールしているのだと言ってください。

そうです。 あなたは、責任が取れるのです。
 
 

2010年7月15日木曜日

05 人生の主役は自分だ

メモ書き

ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
05 人生の主役は自分だ

さて、テイクパフォーマンスへの第一歩は、健全な自尊心であることは既にお話しました。 どれだけ自分を好きで、どれだけ自分を愛し、価値ある存在として受け止めることができるかということです。 テイクパフォーマンスへの鍵は2つあると思いますが、2つ目は自分に対する責任感です。 自尊心と自分に対する責任感は、切っても切れない関係です。 自分に対する責任感とは、自分で自分の運命を切り開き、人生の主人公は自分だ心得、今の自分の在り方も、これからどうなって行くかも、すべては自分の責任でしかないのだと認めることです。 人間の存在を超えた神の力を信じて、すべては神のみわだとするのもいいでしょう。 でも、神は自ら助くるものを助くということもお忘れなく。 この現実社会において、あなたに起こることはすべてあなた次第なのです。 もし、嫌なことがあれば、変えていくのはあなた自身です。 責任から逃れる道はありません。 この責任という問題については議論が続出していますが、難しい問題です。 人間としての潜在力を発揮するためには、この責任について的確に理解することが大事なのだということはこのセクションでわかるでしょう。

ところで、私たちは最初は幼児として人生に乗り出します。 これを愛としましょう。 私たちは幼児から成人へと成長していきます。 成人年齢を二十歳とします。 生まれたときはゼロだった責任も、成長するにつれて次第に大きくなり、それが二十歳になるまで続きます。 もし、両親が正しい子育てをし、自立心を植え付け、自分のことは自分で考え、決断できるように育ててくれたら、二十歳になったときは法的にも心理的にも道徳的にも、そして心身ともに自分の人生を引き受ける用意ができているでしょう。 もし、子どもが成人になるまでに、両親が十分に責任感を育てなれなかったとしても心配ありません。 二十歳を過ぎれば、それからの人生は100%本人の責任だからです。 その後の人生においては責任から逃れることはできません。 これ以降の人生で起きることは、例外なくすべて自分の責任になります。 自分で責任が取れる人は、皆、何が起ころうとそれはすべて自分次第だと思っています。

ヘンリー・フォードの言ったように、不平は無用、弁解も無用、不平は無用、弁解も無用なのです。 気に入らないことがあるとしたら、それを変革するのはあなた次第です。 ただし、変革していく努力を厭うなら、不平を言わず受け入れよということでしょう。 誰であろうと、責任感のある人は人生の苦しさを嘆いたりしません。 人生の難しさをあるがままに捉え、何か行動を起こすか、黙っているかのどちらかです。 すべては私次第、あなた次第なんです。

これを本当に理解するのは困難なことです。 子ども時代は、親に依存するのは当然です。 完全に依存した状態では、自分に起きるすべてのことを周りのせいだと考える行動パターンができあがります。 気をつけていないと、大人になってもこの依存心を引きずり、子ども時代の見せ掛けの安心を求めようとします。 あの頃は誰かが身の回りの世話をすべてしてくれた。 食べ物も、着る物も、住む場所もあり、すべてが揃っていて何も心配しなくて良かった。 学校へ行ったら行ったで先生や友達が居て、その上、何もかも揃っていた。 油断すると、常にそんなことを考え、社会人になってからも責任を取ってくれる誰かを求めようとする依存心が抜けなくなります。 後でお話する自己開発の問題にも関係しますが、多くの人々は集団で学校教育を受けてきた結果、更に学問を続けるかどうかは周り次第と考えて、一緒に続けようという人が周りに誰も居ないと自分もやらないのです。 成熟と未成熟の違いはそこなんです。

簡単な例を挙げましょう。 これが幼児から大人に至る人生としましょう。 誰でもいつかは遅かれ早かれ、この断崖に達しますが、こちら側は未成熟の領域、つまり子どもの時代です。 こちら側では常に周りに依存していて、他人に問題解決してもらおうとして周囲ばかり見ています。 ここで崖っぷちに立たされます。 この崖からは、成熟の世界、つまり大人の世界が見えるのですが、子どもから大人になるには、向こう側までひとおもいに飛ぶ決心をしなくてはなりません。 無理やり飛ばされることもあるでしょうし、いつの間にか飛んでいることもあるでしょう。 何れにせよ、いつかは自分の人生は自分の責任であり、運命を切り開くのは自分であることを正面から受け止めなくてはならないのです。

ところが、ここまで来たところで大抵の人はここで背中を向けてしまうのです。 そして、結婚という安定に逃げ込んでみたり、会社に入って上司に頼ろうとします。 とにかく、すべての出来事を周りの人々や状況のせいにして、自分は責任を取らずに生きようとするのです。 体格がこうだから、健康がこうだとか、生い立ちがこうだからと言って、すべてを自分の責任とはしません。 たまに責任らしきものを取ったとしても、それはほんの少しだけで、崖を跳び越すのに二歩くらいで行こうとしてるようなものです。 そこで、大多数の人は、残念ながら谷底に落ちてしまうわけです。 言い訳の谷底ですね。 この谷底で言い訳をしながら過ごし、一歩も前進しないで終えてしまう人々は実に多いんです。 昔から言い古された言葉があります。 言い訳病です。 自分の失敗や未熟さに対して言い訳ばかりする習慣は、まさに病気です。 しかも、この言い訳病は、成功するためにはまさしく致命的な病なのです。 ですから、責任について大事なのは、責任逃れするときにあなたはどんな言い訳をするか見直してみることです。

ロシアの文豪トルストイの白兎の有名な話があります。 それは、庭の隅に一つの箱があって、その箱の中に人生の疑問を解く答えがすべて入っているのです。 ところが、それは植え込みのどこかに隠されています。 それを見つけるには、ただ一つだけ条件があって、もし大きい白兎のことを考えてしまったら絶対に見つけられないというのです。 白兎のことを考えなければ箱は見つかり、人生の謎はすべて解けることになっています。 もちろん、箱を見つけて人生の謎を解いた人は居ません。 みんな白兎のことを考えてしまうからです。

そう、私がお話したいのは、あなたにとっての白兎は何か、つまり、あなたの心をいつも占領している言い訳は何か、それはどんな言い訳か、ということです。 新しい仕事やチャンス、生活を変える切っ掛けを逃がしたときなど、あなたの頭に浮かぶ言い訳は何ですか? あなたはこう言うでしょう。 う~ん、できないよ、だって、それに、もちろんやりたいよ。 でも無理だよ。 理由は何ですか? 若すぎるから? 歳を取りすぎているから? 背が高いから?低いから? 学歴がないから?ありすぎるから? タイミングが悪いから? さて、あなたの白兎は何でしょう? あなたの心の中に言い訳の種を植え付け、あなたの責任能力を奪い、未熟な子どもの国に引き戻す、その言い訳の根拠は何でしょう。 これが究極の質問です。

さて、責任について考えるときに、忘れてならないことがあります。 それは、責任を取るか取らないかには、選択の余地は無いということです。 私たちは、ここでちょっとあとでちょっとというような責任の取り方をしようとします。 責任には選択の余地は無いのです。 二十歳になった瞬間から、100%の責任が圧し掛かってくるのです。 選んでいる場合じゃないんです。 殆どのものは自由に選択できますが、責任感だけは違うのです。 これは絶対的義務なんです。 もし、潜在力を発揮したければ、目標を達成したいと願うならば、そのような環境を整え、変革をし、必要な決断を下す絶対的義務があなたにあるのです。

責任、英語の Responsibility という言葉は、分解すると Response 反応、そして、Ability 能力になります。 私自身、歴史を勉強してわかったことですが、勝者と敗者の違いは問題の違いではありません。 人の一生というのは、誰でも周りから想像できないほど難しい問題や障害を持っているのです。 ですから、人生の勝者と敗者の違いは、その問題や障害にどう反応するかにあるのです。 違いというのは、問題の対応の仕方にあるわけです。

だいぶ前に、オズワールド・スパングラーという人は、問題処理の理論という本を書きました。 これは、文明の盛衰は試練に直面したときに人々がどう対処するかで決まるというものです。 文明は、はじめは小さい共同体からスタートし、必ずと言っていいほど外敵、あるいは自然環境の挑戦を受けます。 こうした試練に直面するたびに、果敢に対処していければ、次第に成長していきます。 こうした過程に、うまく対処できた共同体が偉大な文明を生むことになります。 スパングラーが世界史上の21の帝国を研究した結果、すべてこのサイクルに従っていました。 問題対処の能力と気力を失わない限り、文明は成長し続けるのです。

なぜ、この話をしたかというと、私たち人間にもまったく当てはまるからです。 責任転嫁をすることなく、人生が投げかけてくる問題に肯定的に対応し続ける限り、私たちは向上していけるのです。 アルベルト・シュヴァイツァー、ウィンストン・チャーチル、ジョージ・ワシントン、エイブラハム・リンカーン、フランクリン・ルーズベルトなど、歴史上の偉大な人物は、みんなそれぞれの時代の挑戦を受けて立った人たちです。 こういった人々に近づくためには、毎日の小さな挑戦を受けて立つことから始めれば良いのです。 つまり、何が起ころうと、挑戦を受けて責任を取り、弁解を避けて進むことです。

現在社会において、注意して取り組まなければならない3つの問題点があります。

第一は、政治に関することです。 考えてみると、人というものは何でも政治のせいにする強い傾向があります。 政治が悪いんだと、政治に責任を転嫁しようとします。 こういう人たちは、政治に親の役割の担わせ、自分たちを守り、世話をさせようとします。 自分の役に立つからといって政治家を選ぶならば、コントロールを委ねることになります。 お分かりのように、コントロールを人に委ねることはできても、責任を逃れることはできません。 コントロールを委ねることは、投票するにあたって政治家に金を使い、自分の仕事を管理させ、収入さえも委ねてしまうことになるのです。 つまり、こういうことです。 国の体制が自由主義であれ、社会主義であれ、個人の生活のさまざまな試みに対して、政治に責任を持たせようとすることと言えます。

さて、第二の問題は、皆さんも良くご存知のように、犯罪に関することです。 この犯罪構造は、すべての犯罪者の特徴として、犯した罪の責任を絶対に取ろうとはしないことを前提としています。 いつも他人や環境のせいなのです。 子ども時代やその背景や周りのせいなのです。 しかし、犯罪行動から抜け出すには、まず、犯した罪の責任を認め、私がやりました、やらされたわけではありません、責任は私にあります。 そうなれば、二度と繰り返しません。

第三は、医療の問題です。 今日、私たちが抱える医療に関する問題は精神的なもので、自分自身の思い込みに寄るものです。 平均的なアメリカ人は、4キロないし8キロ太りすぎています。 医療に関しては、医者に責任があると考えています。 ちょっと考えてみてください。 もし、あなたが無人島に居て、医者も看護婦も病院も薬も何も無かったとしたら、いったいどうしますか? 頼れるものは何もありません。 ここが大切なポイントです。

我々の社会では、私の責任じゃない、他の人の責任だという人たちが溢れています。 しかし、ここが鍵なのです。 私たちは選択の自由があるのです。 どういう対応をするかはあなた次第です。 どんな質の感情を持って生きるかはあなた次第です。 どういう対応するかによってあなたの感情も決まるのです。 怒りや幸せ、不安を感じるのもあなた次第です。 朝起きたときに、どんな心がけで過ごすかを決めるのはあなた次第です。 健康状態を決めるのもあなたです。 何を食べ、何を飲むか飲まないかを決めるのもあなただけです。 経済面の質を決めるのもあなたです。 どんな仕事でどれだけ働くかを決めるのもあなたです。 何をしたいかはあなたが決めてください。 自分の人生を変えたければ、まず全面的に無条件で自分の人生に責任を持つことから始めましょう。

私がこの責任の概念を発見したのは21歳のときでした。 当時、私はボロアパートに住み、氷点下の建築現場で働いていました。 車も無く、蓄えも無く、着る物といえば着古したものでした。 高校も中退していました。 ある寒い冬の日、小さなアパートで、未来も無く、語るほどの過去も無い自分に語り掛けました。 人生を変えるのは、自分次第だ。 そのとき、私は本当にゾッとしました。 雷に打たれたような気持ちがしたのです。 自分の人生を変えるのは自分自身だと気付いたのです。

もし、皆さんに教えることがあるとすれば、ただこの一点です。 それは、幸せになる第一歩、そして、自分の人生を完全にコントロールするための出発点、更に、成功と目標達成への出発点は、無条件に責任を受け入れることです。 何をするかどうかは自分次第、何をするかはあなた次第なのです。

04 意識下に眠る巨大な力

メモ書き

ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
04 意識下に眠る巨大な力

潜在能力を全開にするためには、意識と潜在意識との関係について理解することが大変重要です。 いろいろな本にも書かれていますが、これは多分に複雑な問題です。 特に潜在意識については、人類の歴史が始まって以来、いろいろな説がありますが、潜在意識はあなたの存在の源です。 この潜在意識に働きかける方法を探っていきましょう。

では、意識と潜在意識との関係、それをどうやってコントロールするか、潜在意識のプログラムをどうやって変えていくかについてお話ししましょう。 意識と潜在意識は、創造主によって創られたマスターデザインです。 それぞれの別の機能を持ちながら、2つが一体となって完璧な働きをします。

ここで説明しましょう。

たとえば、これを意識、こちらを潜在意識としましょう。 意識の世界では、あなたの思考のおよそ10%しか受け持っていません。 意識して考えていることは10%くらいです。 それに対して、潜在意識は残りの90%を占めています。 人間の潜在能力とその解放は、意識下に眠る能力の全開に繋がります。

では、意識とはどんなものでしょう。 これは特定の機能を持っています。 まず、それは客観的です。 つまり、物事を明確で明瞭に捉え、それに、客観的に感情を交えず分析します。 第二に、潜在意識は理性的に物事を捉えるのです。 それに識別もします。 これが三大特徴です。 言い換えれば、真実と嘘の見分けができるのです。 脳の中の、機械的で冷静な部分と言えるでしょう。

意識には、4つの機能があります。

第一の機能は、入ってくる情報を識別する機能です。 情報をいろいろなところから入ってきます。 それは、本人の考えからくることもあれば、周りの出来事からくることもあります。 たとえば、あなたが道を横切ろうとするところを想像してください。 そのとき、車のエンジンの音が聞こえてきました。 すると、直ちに音の方に目を向けて、その音が何かを見極めようとし、自動的に音を車と結び付けます。

意識の第二の機能は、比較です。 その車を、記憶の中のすべての車と比較することです。 たとえば、ニューヨークのような大都会に住んでいれば、どの車を避けるべきか一瞬のうちに識別することができます。 何百、何千という車をいつも見ているので、反射神経も研ぎ澄まされているわけです。 反対に、田舎に住んでいて、そんなに多くの車を見る機会の無い人は、走っている車を見ても、すばやく反応できないかもしれません。 比較というのは、いわば、潜在意識をすばやく覗いて、走ってくる車に関する過去のすべてのデーターと照らし合わせることによってなされます。 こうして比較がなされた上で、一瞬のうちに反応するわけです。 事実、潜在意識は、意識の何と3万倍の速さで反応すると言われています。 意識で何かをチラッと見たり、聞いたり、考えたりしただけで、一瞬のうちに反応することができます。 通常、意識的にやろうとしたら、膨大な時間が掛かるでしょう。

意識の第三の機能は、分析です。 比較によって反応した上で、今度は状況分析に入るわけです。 通りを横切っていた車の音を聞いた、そちらに目を向けると、あなた目掛けて走ってくる車が見える、あなたは記憶と比較した上で、時速50マイルで走っている、避けなければ1秒後にはぶつかってしまうと判断します。 そこで、分析が始まります。 さあどうする。 避けるべきか、どうか、答えは避けると出て、あなたは避けます。

四番目の機能へと移行します。 それは意思決定です。 意識は、分析した上で意思決定をします。 Yes か No かを決めるのです。 ちょうど、二進法のコンピュータのようなもので、入ってくる情報に対し、常に Yes か No かしか答えません。 意識は一度に一つの思考しか受け付けないからです。 これは本当に見事な構造をしています。

さて、道を横切っていると、音が聞こえ、目をやると車が来るのが見えた。 比較によって向かってくるのがわかる。 そして、分析によって避けるべきだと判断します。 避けようか、答えは Yes。 前に No。 後ろに Yes。 そうだ、後ろに避けようと判断すると、この Yes の言葉は潜在意識に伝わり、直ちに、あなたの全神経や筋肉や細胞を動員して、あなたの体を後ろへと追いやるのです。 あなたは別に、じっくりと右足を先に出そうか、左足を出そうかと悩む必要はありません。 そのシグナルをただ意識に伝えさえすれば良いのです。 言うならば、感情の爆発に身を任せれば良いのです。 その命令が強力であればあるほど、潜在意識はあなたの命令に直ちに従います。 潜在意識を活気付けるのは、恐怖、欲望、生存本能、愛の本能と言われます。 つまり、潜在意識を動かすのは、感情なのです。

では、潜在意識の特徴とは何でしょうか。 それは、巨大なデータバンクに似ています。 このデータバンクのように、潜在意識の役割は、データを保存し、呼び出すことです。 言い換えれば、潜在意識とは、主観的思考であり、従順な思考とも言えます。 意識が命令し、潜在意識は従います。 考えることはしません。

ところで、意識は記録せず、潜在意識はすべてを記録します。 お分かりのように、意識は一度に一つのことしか考えられないのに対し、潜在意識は膨大な量の情報を保存できます。 意識と潜在意識の関係は、ちょうど意識が庭師で、潜在意識が庭のようなものです。 どんな種でも撒きさえすれば、潜在意識が育てていきます。 潜在意識には、膨大なプログラムが入っています。 自己概念、すなわち、本人にとって意味のある情報はすべて、この過去の経験と、それへの反応、こういったものが入っています。 将来、前と同じような状況に出会ったとき、潜在意識の役割の一つは、前と一貫した行動を取らせるのです。 いつもある状況に恐怖を感じていると、次に同じ状況に出会うと反射的に恐怖を感じます。 人間というものは、知らないことに関しては、恐怖も何も感じません。 経験を積むまでは、十分な情報が無いからです。

ここで、3つの重要な心理法則に移りましょう。 この法則が、あなたの人生を決定付けることは前にもお話ししました。

第一は、「潜在意識的活動の法則」です。 この法則は、なんであれ、潜在意識に植え付けられたものは、直ちに現実となっていくというものです。 あなたの潜在意識は、あなたの言動を自己概念のパターンに調和させます。 自己概念と調和させる。 つまり、潜在意識はあなたの言動をあなたが過去にインプットした情報に合わせようとするわけです。 また、あなたの言動や行動を未来の自己概念ともなるあなたの目標にも調和させようともします。 つまり、あなたの仕草や態度、エネルギー、自信、人間関係や社会性といったものは、自己概念と矛盾しないようにプログラムされるのです。 というのは、潜在意識が自動的に考えなしにすべてを調和させようとするからです。 従って、あなたの気持ちが高揚していれば、自己概念も肯定的になり、足取りも軽く、態度も自信に満ち、やる気十分で積極的になります。 逆に、気持ちが塞いでいれば、自己概念も否定的になり、態度もそういう風になるでしょう。

そこで第二の法則、これは「集中の法則」と呼ぶものです。 これは、セミナー全体で言えば、9番目の法則になりますが、この「集中の法則」は非常に大切な法則です。 一つ一つの法則がみんなあなたの人生を変えるくらい重要なものなのです。 「集中の法則」とは、つまり、拘れば拘るほど問題は大きくなる、拘るほど大きくなるということです。 どんなことでも、思い込んでいれば現実となります。

私は前に、相当的思考について教えていました。 それはこういうものです。 あなたの心のキャパシティはこれくらいだとして、ある考えをそこに送り込みます。 これくらいだとします。 残りのスペースは他の事でいっぱいです。 これがあなたの考えです。 心の中には他の考えもあります。 しかし、意識から潜在意識へと常に考えていると、心のスペースがその一つの考えに占められて、つまり、何か一つのことに拘っていると、ついには、他の事は何も考えられなくなってしまいます。 こうなりますと、共鳴盤ができてきます。 潜在意識は「引力の法則」と「共鳴の法則」、「放射の法則」の核となるものです。 この共鳴盤から、あなたが今考えていることと、調和の取れたエネルギーが放射され、自分の考えと合った人々や環境を引き込んでいきます。 周りを見て考えてください。 自分は何をいつも考えているのか、何にいつも拘っているのか、「集中の法則」の基本ルールは、嫌なことではなく、起こって欲しいと願っていることに拘り、考え続けることです。

そこで、3つ目の法則へと移るのですが、これは「置き換えの法則」です。 さて、卒業生の多くが、これは今までで最も重要な法則だと言っています。 簡単な法則です。 この法則は、たとえ肯定的であれ否定的であれ、私たちの意識は一度に一つのことしか考えられないという所から来ています。 たとえ否定的な考え方を取り除いたとしても、心が空っぽになるわけではありません。 否定的な考え方を取り除きたいならば、それを叩き出して肯定的な考え方をすることです。 考え方は取り替えられます。 気持ちを入れ替えるのです。 常にこのように心掛けていれば、つまり、否定的な考え、恐怖、心配、自己の限界、悲観的予測、あなたを消極的にさせるもの、失敗への恐怖、欠乏、貧困、拒絶、喪失など、こうしたものを願望と置き換えることができれば、これが秘訣です。 恐怖対願望。 つまり、自分のしたいことを願い、やなことは考えず、自分の願望に拘ることです。 そうすれば、恐怖は次第に小さくなり消えてしまいます。 実際、この置き換えの法則によって、自分が望まないことを考える時間はより少なくなり、嫌なことはだんだん感じなくなります。

成功者はなぜいるのでしょう。 簡単なことです。 聖書にもあるように、持てるものは更に与えられ、持たざるものは更に奪われる。 これは、金持ちが更に富み、貧者は更に貧しくなるという意味です。 金持ちはいつも富や豊かさを考えています。 では、貧者は何を考えているかというと、いつも欠乏とか喪失、限界、危機、恐怖、失敗などについてです。

もし潜在能力を解放して一気にゴールまで駆け登りたいと思うなら、まず、「置き換えの法則」を活用することです。 やりたいことを考えることです。 「集中の法則」を活用して、成功の結果を思い続けることです。 問題を中心に置くのではなく解決を中心に、法則を中心にではなく目標を中心に置くのです。 そうすれば、「潜在意識的活動の法則」によって、言葉や行動、気分、感情などが、それ相応のものとなり、それと調和の取れた人や環境を引き込むようになります。

さて、最も効果的なことは何でしょう。 簡単です。 つまり、成功は目的を持って組織的に自分の意識をコントロールすることから始まります。 目的を持って組織的に自分の意識をコントロールすること、すべては「コントロールの法則」に端を発します。 このことは初めにお話ししました。 目的を持って組織的にコントロールするには、こうするのが一番です。 何度も何度も、自分が好き、自分が好き、自分が好き、自分が好き、と繰り返してください。 自分が好きだ、もっと良いのは、自分を愛してる、を何度も何度も言って行くこと、こうした考えが潜在意識に深く入り込んで行きます。 自分をもっと積極的に捉えてください。 劣等感、悲観、恐怖、失敗、拒絶などの考えを取り除けば、あなたの潜在意識のコンピュータにある古いデーターが組み替えられ、高い自己評価や能力や優れた業績と調和の取れたものになります。

人生において成功する秘訣は、潜在意識のパワーを活用して考えや言葉、イメージ、アイデア、気分などを高い業績に沿うようにプログラムすることです。 そして、願望だけを思い、恐怖を捨て去りましょう。 思い出してください。 この世でただ一つコントロールできるもの、それはあなたの思考です。 この世でたった一つコントロールできるものは、意識なのです。 これができれば、すべてがうまくいくはずです。

2010年7月10日土曜日

03 潜在能力を引き出す

メモ書き

ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
03 潜在能力を引き出す

潜在能力について考えるとき、なぜ人によってこんなに実績の差が出るのだろうと思ったことはありませんか。 年収25万ドルを稼ぐ人は年収が2万5千ドルしかない人より10倍優れているかといえば、そんなことはありません。 では、なぜそんなに差が出るのでしょうか。 中には年に250万ドル稼ぐ人もいますが、彼らは年収2万5千ドルの人よりも100倍も優れているのでしょうか。 とんでもない。 最近行われたIQ調査で千人の男女を選んで彼らのIQについてテストをしてみましたが、このうちトップの人と最下位の人の差はたったの2.5倍しかないことがわかったのです。 その差はたったの2.5倍だったのです。 おそらく、この数字は統計としても正しいでしょう。 ではなぜこのような差が出るのでしょうか。

この潜在能力について数年前、私が非常に簡単な公式を思いつきました。 その話を少ししましょう。 最初の公式と言うのは、生まれついての先天的特質というもので、特質、知性、能力、気質などです。 生まれつきのものは容易には変えられません。 それにプラス、後に身に付いた後天的特質です。 この後天的特質が大切なのです。 これは教育、トレーニング、技能、経験、知識、知恵などです。 これに、Attitude、すなわち、あなたの心構えを掛けたものが、潜在能力、あるいは、個人的才能、個人的性格ともいうべきものなのです。 これらの3つのうち先天的特質は殆ど変わりませんが、後天的特質は変えられます。 ただ、普通はかなり時間が掛かりますが、急速に変わることもありえます。 ちょっとした効果的な情報によってうんと能力が付くことがあります。 心構えというのは、一瞬のうちに良くも悪くもなります。 ですから、一瞬一瞬の心構えを大切に生きることで、あなたの可能性は増幅するのです。 正しい心構えを身に付けることで、能力も向上します。 ですから、心構えは人間の能力を考えるときに非常に大切なキーワードとなるのです。

優れたリクルーターを対象としたハーバード大学の研究によれば、人間の行動の85%は心構えを反映しており、成功の85%はあなたの心構えで決まるということです。 つまり、どのくらいPMA、積極的な心構えを持っているかが大事なのです。 積極的な心構えを持つ人はより早く前進し、より早く企業のトップになり、高い収入を得、満たされた人生を送るのです。

ところで、積極的な心構えと言っても、これは何もはしゃぎまわることではなく、あなたは常に仕事や人生、問題、人間関係などに対して、建設的な態度で取り組むよう心掛ければいいのです。 サクセスマガジンに掲載された、アメリカのビジネスに関するボックスレポートによると、成功の85%以上が心構えによるというのです。

そこで、一つ質問。 心構えとは、どこから来るのでしょう。 それは、期待から来るのです。 簡単なことです。 前にも言いましたが、心構えを劇的に向上させる方法は常に自分に対して、今日は必ず自分にとっていいことが起こるということです。 前にも言ったように、結果への期待が心構えを決めるのです。 別の言葉で言えば、いつも良い結果を期待すれば、態度も積極的になりますが、消極的な期待には、態度も消極的になります。 期待は自分で作れるものです。 良いことでも、悪いことでも、強く期待すれば叶うのです。

では、期待とはどこから来るのでしょう。 こうした期待は、信念から来るのです。 言い換えれば、価値観からです。 期待とは、人格や信念、価値を形成する中心的要素だからです。 ここで、人間の潜在力を理解することが大事になります。 心構えとは、今まで挙げてきた心の法則によれば、基本的に内面が外に表れたものです。 また、信念について言えば、私たちは心の奥底にいろいろな信念を持っていますが、これが、心理学者の言う、自己概念なのです。

自己概念というものの発見は、多くの人々によって20世紀における、人間探求の最大の手掛かりとされていますが、私もまったく同感です。 自己概念とは、軍隊にたとえるなら、最高司令部のようなものであり、科学にたとえるなら、コンピュータの中心プログラムのようなものです。 それは、心の根底にある一連の信念、価値観、心構え、感情、アイデアであり、あなたが今までの生活の中で積み重ねてきたすべての経験の反映なのです。 自己概念の形成は、誕生以前からはじまっているという研究者もいます。 そして、一旦形成されると、人生のすべての段階で、あなたの行動はあらかじめ決定付けるのです。 自己概念は最高司令部であり、マスタープログラムとなるのです。 あなたが何を良い、どのように行動し、どう感じるか、すべては自己概念の命令なのです。

どういうことでしょう。内的生活の向上や、実生活の生活の向上は自己概念を変えることによって、はじめて生じるのです。 どういうことか説明しましょう。 ここに簡単なグラフがあります。 私たち普通の人間は、普段潜在能力の10%かそれ以下しか発揮していません。 それ以下という報告もあります。 サンタクラウにある、スタンフォード研究所は、たった2%としてるくらいです。 ですから、10%というのは、かなり甘いかもしれません。 最高に発揮したとしても、私たち一般人の潜在能力の90%も眠っていることになります。 偉大な哲学者、オリバー・ウェントルホームズは、私たち一般人の悲劇はその能力が開花しないまま終わってしまうことだと言いました。 潜在能力の大部分は眠ったままなのです。 潜在能力とはそうしたものなのです。

人間の潜在能力と自己概念は、密接に結びついています。 でも、我々の自己概念、言い換えれば、自己評価があまりに低いのに、100%実力を発揮するなんて無理な話です。 自己概念は主犯的なものです。 どういうことかと言うと、自己概念、すなわち、自己評価は、現実ではなく、私たちの思い込みに基づいており、それが強ければ強いほど、私たちの行動に影響しますから、結果的に、現実になりやすいのです。 星占いを熱狂的に信じていれば、実際、その通りになるのです。 尊敬もしてない人からの批判を正しいこととして受け入れてしまう人もいます。 何でも本当だと信じれば本当のことになるのです。

人間は、成長すればさまざまな自己概念を持つものです。 たとえば、洋服の趣味、体重、食べ物、人前で上手く話せるか、子どもに対してはどんな親か、親に対してはどんな子どもか、夫として妻として恋人としてはどうか、自分が運転をするか等です。 ところで面白いことに、男性は運転に関しては、絶対的な思い込みを持っているようです。 女性はそうは思わないのですが、男性は生まれつき運転のセンスがある、男性こそ良い運転手だと思っているようです。信じられないかもしれませんが、このビデオを見ている女性の方は、ちょっと思い出してみてください。 男性の運転に少しでも意見しようものなら、相手はムッとするんじゃありませんか。

あなたの自己概念を否定するような人が現れたら、どういう態度に出れば良いのでしょう。 余計なお世話だと腹も立つでしょう。 その人に対し、防御的になり、腹が立ってイライラし、やっていけないと思うかもしれません。 我々は自分の想像力や知性、速読、あるいは体操や他のスポーツをやっているとしたら、それをどのくらい上手くやれるかという自己概念を持っています。 あるいはまた、料理の上手下手、子どもの育て方、部屋の掃除、運転など、すべてです。

それと、どうやって収入を得るかについても同様です。 面白いことに、あなたの収入は自分で決め込んでいる額と10%もくるっていないそうです。 つまり、自己概念は収入の額も決めてしまうのです。 この自己概念のレベルをコンフォートゾーンと言い、仮にあなたがもっとお金を欲しいと思っても、知らず知らずのうちに自分にとってのコンフォートゾーンに落ち着くようにしてしまうわけなんです。 もし、コンフォートゾーンよりも10%か、それ以上収入が多くなると人が落ち着かない気持ちになり、寄付したり、豪遊して無駄遣いをしたり、どこかに落としてしまったりするのです。 宝くじを当てた人も、2、3年後には大抵文無しになるのも、こうした理由からです。 自己概念を遥かに超えたお金を持て余してしまったのです。 反対に、収入が自己概念を10%以上下回る場合、人は焦りを感じ、必死に働き、想像力を発揮し、収入を増やす工夫をしたり、他の収入源を探そうとします。 収入も含めた生活の向上を図るための最良の方法はもっと収入を増やすことを考え続けることによって、収入に対する自己概念のレベルを上げることです。

もし痩せたいと願っているのなら、痩せる方法はただ一つ、痩せた自分の姿を常に想像することです。 もしあなたが誰からも好かれる、より幸せで、感じの良い、活き活きした人になりたいなら、それが自分の新しい自己概念となるまで、常にそうした自分を想像し続けることです。 あとでも触れますが、自分を成功に向かってプログラムすることが大事なのです。 あなたにとって大切な分野で、自己概念が高ければ、全体的な自己概念レベルも向上していきます。

ところで、自己概念は3つの重要部分からなっています。

第一は、自己の理想像、セルフアイデアです。 つまり、自分はこうなりたいという理想像です。 勝利者についての概念です。 自分が成りたいと願う最高の自分へのヴィジョンと使命なのです。 勝利者について、私たちが知っている事実、それは、成功者というのは将来の自分への極めてハッキリした理想像を持っていることです。 それに対して、失敗者は曖昧な理想しか持っていません。

二番目は、自画像、セルフイメージです。 自画像とは、自分をどのように見、どのように考えているかを示すものであり、これは、内なる鏡に写った現在の自分の姿であり、日々の行いを決定付けるものなのです。

第三に、自尊心、セルフエスティームです。 自尊心とは、自分自身の捉え方です。 自分をどう感じているかが、あなたの無意識下のエンジンであり、モーターの役目をするのです。 それは、自己概念の原動力であり、あなたの身に起こるすべてのことを決定します。

自尊心の最高の定義は、自分をどれだけ好きかということです。 自分をどれだけ好きか、親として、社会人として、上司として、労働者として、プロの講演者として、運動選手としての自分をです。 自分をどれだけ好きかという自尊心のレベル、つまり、あらゆる分野における自分の捉え方、感情があなたの行動と業績を決めるのです。 幸いなことに、自分自身の捉え方、自己概念は順応性があるので、自尊心は繰り返しこのように言うことで創られます。

自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだ。
自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだ。

このように、自分が好きだ、自分が好きだ、と言えば言うほど、あなたの自尊心は高められ、自尊心が高まれば高まるほど、全体的なあなたの自己概念も上がっていくのです。 そうなれば、あなたは何をやっても上手くいくようになります。 いつでも、自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだ、と心から繰り返すことは、精神的に自分を押し上げることになるのです。 自尊心を高めるような出来事は、あたな自信を高めます。 自尊心を貶めるようなことは、あなた自身を卑しめ、失敗が増え、不幸になります。

自分がどのくらい好きかという自尊心に関して、大切な点の、第一は、自分を愛する以上に他人を愛することはできない。 自尊心のレベルによって、他の人との友情関係が決まるということです。 第二は、自分を愛し、尊敬している度合い以上に、他人から愛され、尊敬されたいと思っても、無駄ということです。 自分をどれだけ愛し、尊敬しているかが、他人の評価を決めるのです。 本日の心理学者たちも認めているように、どれだけ自分を愛しているか、どれだけ自分を価値ある存在として愛しているかどうかが、人生を大きく左右するのです。 そして、自尊心を高めるには、自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだ、といつも唱えることなのです。

そこで、次の質問です。 自尊心、あるいは自己概念はどこから来るのでしょうか。 自己概念というのは、強いて言えば、私たちはある固定された自己概念を持って生まれてくるわけではないのです。 私たちは生まれつき自分についての確固たる意識、つまり、自画像や自尊心を持って生まれてくるわけではありません。

つまり、こういう風に言えるでしょう。 私たち平均的な人間は、自己概念を持たず、無限の可能性を秘めて生まれるのです。 今のあなたの持つすべての感情や心構え、価値観などは今までの人生で培ったものです。 子どもたちはみんな、愛とスキンシップをとても必要とします。 しかし調査によると、愛とスキンシップは一生涯必要であり、特に発育期においては重要であることが指摘されています。 というのは、この時期に自分が誰で、どんな価値を持っているか、どんなに賢く、どんなに可愛く楽しい子どもかということを親から教えられるからです。 私たちは、親の態度でそれを知るのです。 両親、兄弟、親戚、とりわけ、どれほどにあなたが大事な子どもかという気持ちが、 両親の態度に表れていればあなたはそのように育つでしょうし、逆の場合は結果も逆になるでしょう。

生後2、3歳までは、自己概念の形成上もっとも大切な時期です。 子どもは、ゼロからスタートするからです。 子どもは、自分が誰かという意識を持っていません。 自分がどんなに価値ある存在か、生まれて数年の間は知らないのです。 昔は5歳までという説もありましたが、今は3歳と言われています。 3歳までに子どもは自分が誰かを認識するのです。 この発育期の数年間に、質量ともに高い愛情を子どもに与えることで、人生の基盤ができます。 自尊心や自信、自己評価への基盤ができるのです。 実際、質量ともに十分な愛情は、健全な人格形成に密接に結び付いています。 発育期に無条件の愛情を受ければ受けるほど、子どもの健全な人格の基盤は強固になります。

逆に言えば、精神障害、ノイローゼ、人格障害や異常行動など、こうした問題の殆どは、みんな子どもの時代の自尊心の破綻から来るのです。 大人になったからでも取り返しは付きます。 大人の人格を考えてみてください。 大人の人格の基盤に入ったひびやわれめは修復することができます。 何度も、自分が好きだ、自分が好きだ、と繰り返すことで、自分の人格の奥深くのひび割れを埋め込んでいくのです。 花には水を上げるように、子どもには愛情がいるのです。 愛されない子どもは、精神的飢餓状態に追い込まれ、愛に飢えて死ぬこともあります。

子どもは注目すべき2つの特質を持っています。

一つは恐れを知らないことです。 子どもは怖いもの知らずです。 転んだり、大きな音がしたとき以外には、何も怖がりません。 これは次のような態度です。 I Can、子どもは、私はできる、と思っているのです。 3歳から5歳までの子どもを育てた人ならおわかりでしょうが、この時期の子どもは、ギャングのようにまったく無鉄砲で、怖さを知らず、冷や冷やさせることの連続です。

もう一つの性質は、まったく抑制が無いことです。 子どもは何でも言いたいことを言い、したいことをする存在で、禁止ということを知りません。嫌なことは嫌なのです。 これは次のような態度です。 したくない、したくない。 子どもをコントロールしようとすると、このことに気づくでしょう。 子どもに何かを命令したとたん、真っ先に返ってくる言葉が、嫌だです。 嫌だ、何でやらなきゃならないの、なのです。 もちろん、最後には何らかの方法で子どもの心を変わらせてはいますが。

ともかくこれが、子どもに備わった2大特徴です。  恐れも抑制も知らないのです。 どういうことでしょう。 もともと恐れと抑制の無い状態が、人間にとって自然な状態であり、このような恐れと抑制を知らない状態を大人になって手に入れることができたとき、はじめて伸び伸びとした開放感を味わうのです。 最高の組織、企業というのは、社員が恐れや抑制を感じることなく、伸び伸びとベストを尽くせるような環境を提供できる会社なのです。

子どもは成長するにつれ、2つの方法で物事を学んでいきます。 一つ目の方法は、真似をすることです。 両親、特に影響力の強い親の真似をしますが、どちらの親が子どもにとて影響力を持つかは、子どもの成長とともに変わります。 それが父親であれ母親であれ真似をすることで学ぶのです。 大人になった私たちが持っている習慣や性格の多くは、親から学んだものです。 あなたは子どもに向かって怒鳴ったり、大声で子どもを叱ったりしたことがありますか。 そのとき、昔親に言われたのとそっくりなことを言っているのに気が付きませんでしたか。 模倣から学ぶのです。 たとえば、親の歩き方、あるいは話し方、価値観、信念など、たとえそれらが、あまり意味の無いものであってもです。 なぜでしょう。 子どもにとって親というものは、神様のようなものだからです。

二つめの方法は、不快な状態や嫌な状況から快適へ移動しようとすることです。 フロイトはこれを「快楽の法則」と呼んでいます。 人は自分をより快適に感じさせ、楽しくさせ、気分を良くしてくれる方へ動くものです。 不快から快適へと動くものなのです。 幼児期にオムツを外すため練習をします。 汚れたオムツのまま動き回るのは不快です。 両親の様子や兄弟を見ると、どうも違ったことをしているようです。 こうして周りを見ることによって、歩き方やいろいろなことを学びます。 不快から快適へと移動していくのです。

ところで、大人になってもそうやって一生学んでいくのです。 他人の経験談を聞いたり、本を読んだり、職場や学校を通して模倣し、より高い報酬を得られる方へ、居心地の良い方へと移動し、不快や痛みからは遠ざかっていきます。

さて、子どもがごく小さいときに、両親が間違った子育てをした場合には、子どもは否定的な行動パターンを身に着けてしまいます。 否定的な行動パターンは、主に激しい叱責によるものです。 激しい叱責は、非常に早い時期、生後2、3ヶ月からはじまることがあります。 このような激しい叱責は、親が子どもをコントロールし、管理しようとするときに良く使います。 しかしながら、これは子どもにとって非常に危険な破壊的な行為です。 こういう激しい叱責は、子どもの持つ健全な人格を損なうことになります。 みなさんの大部分や私も含めてのことですが、激しすぎる叱責で傷ついた人は、戦争で傷ついた人よりも多いと思います。

さて、叱られ通しだと、その刺激に対する条件反射として否定的な行動パターンが形成されます。 否定的な行動パターンは、刺激に対する条件反射です。 それは、激しい叱責や体罰が何度も繰り返される恐怖と苦痛の結果です。 激しい叱責や体罰などが繰り返された結果なのです。 人はごく小さいときから2つの兆候を表しますが、これが一生私たちに付きまとい、成長してからも私たちの可能性を抑圧するものになります。

その一つは、抑圧的行動パターンと呼ばれます。 この抑圧的行動パターンは、次のようにして形成されます。 子ども時代に何度も、あれをしてはダメ、これをしてはダメと言われ、罰を受けることによるのです。 子どもが何か新しいことをやろうとしたり、どこかに入り込んだり、匂いを嗅いだり、何かをぶちまけたり、うっかり物を壊してしまったりすると、両親はすぐに腹を立てるものです。 でも、子どもはいつも好奇心いっぱいで、世界を探検したがっているものです。 そして、実際に探検を始め、どこかに潜り込んだり、何かをぶちまけたりしたときに、両親がカッとして子どもを叩いたりすると、子どもはこう考えるようになります。 何か新しいことを始めよう。 何か変わったことをしよう。 自分を領分を越えたり、自分のコンポートゾーンを飛び出したり、大胆なことをしようとすると、必ず叩かれ、叱られ、傷つき、狭いところへ追いやられ、怖い思いをする。 そして、まもなく、できない、できない、できない、何か変わったことをすると、お仕置きをされるから、できない、できない、できない、となっていきます。 パブロフの条件反射のようなものです。 犬に肉を与えると唾液を出します。 犬が肉を食べている間に鈴を鳴らし続けました。 これを繰り返すうちに、やがて、パブロフが鈴を鳴らしただけで、犬は唾液を出すようになります。 これが、成人した大人の場合では失敗への恐怖を生み出すのです。

失敗への恐怖は、あなたが5、6歳までに受けた激しい叱責に対する条件反射として起こります。 失敗への恐怖は自動的に、イライラ、緊張、不安を起こさせます。 みぞおちに鉛が入ったようになり、物事から逃げ出したくなります。 失敗を恐れることが、失敗を引き起こすのです。 実力を十分発揮することを留まらせる大きな原因がこれです。 事実、消極的な気分になっているときは、ハッキリと肉体にも表れ、ハッキリと感じ取れます。 抑圧的行動パターン、失敗への恐怖、できないという気持ちは、まずみぞおちに感じられるものです。 多勢の前で話したり、給料の査定を受けたり、飛び込みセールスをしたことはありますか。 そんなとき、みぞおちがキュッと縮まる感じがしませんか。 その恐怖が募ると、息が苦しくなって、ハッハとなり、動機が激しくなり、汗がドッと出てきて、 ときには激しい偏頭痛が走り、喉が締まり、舌がもつれ、カラカラになり、あまりの緊張と恐れのために、トイレに駆け込みたくなったりします。 これらはみんな、極度の緊張の表れです。 肉体的危険ではなく、心理的危険に対する条件反射です。 こうした状態になると、人は苦痛から逃れるために、その場から逃げ出したくなるので、成功などおぼつかなくなるのです。

もう一つの否定的行動パターンは、脅迫的行動パターンです。 この脅迫的行動パターンは、子どものときに何度も、こうしなさい、さもなければ大変なことになるよ、と繰り返し言われたせいです。 子どもたちは、言わば、条件付愛情に縛られるのです。 親にそんなつもりは無くても、結果的には、子どもに対し、自分は愛されていない、だから言うことを聞かなければ危険だという感覚を植えつけてしまうのです。 子どもはこう思うでしょう。 ママの言うとおりにしなきゃ、ママやパパの喜ぶようにしなきゃ、みんなの言うとおりにしなきゃ、お兄ちゃんの言うとおりにしなきゃ、そして仕舞いには、先生や仲間の機嫌を取るようになります。 こうして、しなければならない、しなければならない、自分のしたいことではなく、みんなの気に入りることをしなければならない、という脅迫観念を育てていき、これが拒絶への恐怖に繋がっていくのです。  この脅迫的行動パターンは、成人においてA型行動と呼ばれ、この行動についてはまた後で触れますが、A型行動というのは、むやみやたらに、何の行動基準も無く、他人の機嫌を取ろうとする脅迫観念であり、決して自分が満足することはありません。

拒絶への恐怖は、他人の思惑に対して非常に敏感にさせ、自分の欲することはしないで、他人の望むことをさせます。 常に他の人の顔色を伺い、その結果、あまりにも他人の意見や感情、態度に支配され、自分の欲求を否定するまでになります。 拒絶への恐怖は、主に体の後ろ半分に感じられます。 体を前後に分けると、その後ろ半分です。 この恐怖を最初に感じる部分は、大抵肩と首です。 肩や首が凝ったり張ったりします。 ときどき、仕事がたまったときなど、腰に強い痛みを感じます。 腰の筋肉が張ってきます。 ときには、静脈炎や怒張静脈が表れ、しばしば後頭部に強い痛みを感じます。 頭部に血液を送る動脈と、その周りの筋肉が収縮するため、脳にいく血液が減少し、後頭部がズキズキしてくるのです。 これが2つの恐怖と否定的行動パターンです。

脅迫感と抑圧感は、子どものときに受けた激しい叱責が元で身に着いてしまい、これで人格は一生の破綻をきたすことがあります。 しかし、すばらしいことに、これらは後天的に身に付いたもので、消し去ることもできます。 失敗への恐怖は乗り越えられます。 自分の欲求を抑えてまで、他人の機嫌を取ろうとする行動、つまり、拒絶への恐怖も、自尊心を高めることで治ります。 自尊心と否定的行動パターンは、反比例の関係にあるからです。 あなたが自分を好きになればなるほど、失敗を恐れなくなり、自分を好きになればなるほど、拒絶への恐怖はなくなります。 あなたが自分を好きになればなるほど、怖いものはなくなります。 そして、もし、自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだ、と何度も繰り返し、自分に言い聞かせていると、時間の経過と共に、やがて、あなたの自尊心は次第次第に高まり、恐怖は消えていきます。 自尊心と恐怖は、反比例の関係にあるからです。

では、あなたが批判を与える立場だったら、どういう風に行動を取ったらいいでしょう。 話は簡単です。 多くの人から、子どもをコントロールするための秘訣について質問されましたが、子どもをコントロールする秘訣は、破壊的なことではなく、何か建設的なことをするように薦めることです。 もう一つしていただきたい重要なことは、本当に子どもに役立つ助言と、建設的な助言を与えることです。 つまり、相手が子どもであれ、大人であれ、こうしたら良くなるという方法を示してあげることです。 すべての規範、助言というものは、現状を良くするためにするのです。 もし、誰かが間違ったことや、不適切なことをしていたら、親として、上司として、人間として、その人にどんな形であれ、意見するのは、次にはもっと良くなって欲しいと望むからです。

ただ、自尊心と激しい叱責は、切っても切れない関係にあり、破壊的な批判は自尊心を低下させます。 自尊心が低下すると、実力も衰え、できることもできなくなります。 誰でも長い期間に渡っての激しい叱責が度重なると、最後にはやる気さえ失ってしまいます。 極端に神経過敏になってしまうのです。 このような状態になると、過敏症の人は批判を受け付けようとしません。 こうした人たちは、ちょっとした間違いを指摘しただけでも、異常に緊張し、過剰反応を示します。

こうした人たちと上手にやっていくには、次の4つのことをしてください。 第一に、まず褒めること。 第二に、どんなことがあっても自尊心を傷つけないこと。 第三は、人格と行動を分けて考え、人物ではなくその行いを指摘すること。 そして第四は、過ぎたことではなく、これからのことに焦点を当てること。 起きてしまったことではなく、これからどうしたらいいかを問題にすべきです。 理由は簡単。 起こってしまったことはやり直せないからです。 従って、起こってしまったことをいくら言っても、極端なストレスと挫折を感じるだけなのです。

まとめてみましょう。 成功への秘訣は、積極的な心構えであり、積極的な心構えは、成功を期待し、積極的に成功の原因を創ることにあります。 そして、成功の要因は、その人の信念と自己概念に基づくものです。 人生を如何に生きるかを決定付ける自己概念の中枢には、自尊心があり、この自尊心は、どれだけ自分を愛しているかというものです。  人を臆病にさせる2つの要因は、失敗への恐怖と拒絶への恐怖です。 ですから、人生を成功に導く極意は、常に自尊心を無限に高め続けることです。 日々の生活で、常に自分を高めるような行動を取ることです。 そうすれば、あなたは自分が好きになり、自分を愛せるようになり、自分を受け入れ、尊敬し、自分はすばらしいという気持ちになれます。 もし、あなたが上司や親の立場にあるなら、家庭においても、職場においても、周りのみんながそういう気持ちになれるような環境作りをしていけばいいのだということを忘れないでください。 あなたが、自分はすばらしい、自分が好きだ、と思えば思うほど、あなたの周りの人たちも、自分はすばらしいんだという気持ちになります。 それこそが、卓越した業績を生み出す環境なのです。 人生の大きな成功と達成への第一歩なのです。 さあ、あなたに向かって、自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだ、と言ってみてください。

02 7つの心理法則

メモ書き

ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
02 7つの心理法則

自己認識とは、あたなが唯一のユニークな存在であるという事実を認めることからはじまります。 あなたにそっくりな人は世界に存在する確立は500億分の1と言われています。 体のどの部分をとってもその血液組織は万人が異なっていることは、解剖学者、生理学者、医者によって実証されています。 指紋はもちろんのこと、唇のひだ、更には耳や足の形すらみんな違うのです。 つまり、あなたは他の誰とも同じではないのです。 自己認識の第一歩は、あなたが個性的な存在であり、人生ですばらしい何かを成し遂げる力を持ってることを受け入れることです。

しかし、一方で、人間は基本的原理に関して、みな同様であると言われます。 人類の歴史を通して、賢者と言われる人たちは、人類のジレンマとも言うべき疑問の答えを見つける努力を繰り返してきました。つまり、人の生き方や人間関係の質を変えるには何をすべきかを発見しようとしてきたのです。偉大な哲学者や形而上学者は、ときには一生を掛けてこれに取り組んできました。 今世紀になっても、十年、二十年、三十年、四十年、いや五十年も掛けて、成功と達成の一般原則を見出そうと必死に研究してる人たちを多勢知っています。

まず、この達成の心理学のセミナーの基本を成すもの、つまり、人間とは心を持った創造物であり、この心こそがあなたの存在をユニークにしているのだと言っています。 劇作家のユウジン・オニールも言うように、心が無ければ人間は馬や豚と一緒なのです。 心こそが人間の条件です。 肉体は心の入れ物にすぎません。 ちょうど電気が電気法則に従い、物理学が物理法則に従い、自然が自然法則に従って働くように、あなたの身に起こるすべてのことも、一定の心理法則によって決まります。 このような心の仕組みは重力の法則と同じくらい普遍で100%正確に働きます。 成功とはすべてこの心理法則に調和を保って生きることから生じるのです。 反対に、人生で何か問題にぶつかるときは、すべてこの法則から外れたときなのです。 重力の働きが100%正確であるように、心理法則も正確です。 たとえば、10階建てのビルから飛び降りれば、それがパリであれ、東京であれ、どんな都市であろうとあなたが歩道に叩きつけられるのは間違いありません。 たとえ、あなたが重力のことを知っていようがいなかろうが、信じようが信じまいが、納得しようがしまいが、法則が作用することは同じです。 心理法則もまったく同様です。

このコースでは、約20の心理法則をご紹介します。 程度の差はありますが、みなさんに是非覚えていただきたい重要なものばかりです。

では、第一の心理法則からはじめましょう。 ところで、この心理法則というのは、何世紀にも渡って研究され、更に最近になって、一流大学、研究所、シンクタンクなどで考えられていた通りだと立証されたものですが、その一つは「コントロールの法則」です。 これは単純かつ基本的な法則で、これからも何度も話題にのぼるでしょう。 この法則とは、自分自身に対して自信を持ち、積極的に生きている人は、人生の舵を自分自身でコントロールしていると感じ、自分に対して否定的な人は、人生の舵を自分でコントロールしていないと感じるというものです。 さぁ、ここであなたの人生を見つめなおしてみましょう。 得意な分野は何でしょう。コントロールできるのはどの分野ですか。 その分野こそ、あなたが最も幸せを感じる分野なのです。 心の平安と豊かな人間関係が幸福の証とするならば、人生をコントロールできることが幸福の絶対条件です。 心理学者によれば、コントロールの形には2つあり、1つは内的コントロール、つまり、自分の人生の主役は自分という感覚と、外的コントロール、すなわち、人間関係や仕事や健康など、自分以外の何かにコントロールされている感覚とに分けられます。 そこで、何が得意で、何が不得手かなどを調べるコントロール因子のリサーチには、いろいろなテストが用いられますが、これによって、自分の人生をうまくコントロールできているかがわかります。 これによれば、内的コントロール因子の強い人ほど、活性度が高く、成功しており、物事が自分で決定し、幸福であるわけです。 この講座では、人生の全般に対して、もっと強くコントロール感覚を持てるようにしていきます。

さて、コントロールとは、まず第一に、思考からくるものです。 面白いことに、あなたが何を考え、どう考えるかが、あたなの価値観を決定し、心の動きも決定します。 これらの過程を通して感情は生まれます。 つまり、物事に対する、あなたの心の動きが感情を決定し、こうした、嬉しい、悲しい、恐れ、強気などの感情が行動を引き起こします。 さぁ、この「コントロールの法則」通りやってみましょう。 すなわち、自分の人生の主人公となって、運命を切り開き、人生の舵を自分で握ることが成功への鍵なのです。 自分の思考を完全にコントロールすること、思考は感情をコントロールすることにより、感情は行動をコントロールすることにも繋がります。 この行動こそが、あなたが成功するかどうかを決定する重要な因子なのです。

ところで、「コントロールの法則」に対して、今度は「偶然の法則」というものがあります。 「偶然の法則」は、実際には形而上学の原理ですが、交通法規や法則と同じく、日常生活の拠り所となるものです。「偶然の法則」は、我々のおよそ80%が多少とも基準として生きている法則で、簡単に言えば、無計画は失敗を計画することと同じだということです。 無計画は失敗を計画すること。 信じない人も多いかもしれません。でも、実際には、これが真実なのです。 計画を立てなければ、失敗するのです。 無計画な人々は、何を知っているかより、誰を知っているかが大事なんだ、人生は要領とタイミング、宝くじのようなものと考えています。 彼らは、人生が外的要因によってコントロールされていると感じ、明確な計画や目標が立てられず、何かをやり遂げるために、日々努力するということを知らないのです。 彼らの人生は成り行き任せで、ちょうど舵の無い船のように、漂っているだけなのです。 舵の無い船のような人とは、目標の無い人であり、人生を自分でコントロールできない人です。 このような人は、自分の人生から阻害され、宇宙に漂っているような不安定な状態で生きているはずです。 こういう人たちは、一応に不幸なのです。 現代人の多くが、なぜいつも不安で、悲観的で、不健康かつ欲求不満なのでしょうか。 なぜ目標を達成できないでいるのでしょう。 それは、「偶然の法則」に頼って生きているからです。 だから、目標達成もできず、人生から阻害され、心の安らぎも、幸福感もなく生きているのです。 この「偶然の法則」から永久に解放されるにはどうしたらいいかみていきましょう。

そこで、次の法則は、「原因と結果の法則」と呼ぶものです。 人生の出来事には、すべて原因があります。 世の中で起こるすべてのことには、理由があるのです。 偶然によるものは、一つも無いのです。 失敗も成功も、偶然に起こるものではなく、必然的なものです。 幸福も不幸も、原因と結果の表れです。 より良い結果を得たい、成功したい、収入を得たい、幸せになりたい、健康になりたいと思えば、その原因までさかのぼって検証してみてください。 もし、起こって欲しくないことや、問題があるならば、その原因を検証してください。 人間社会のすべての進歩は、より望ましい結果を生む原因を見極め、努力していくことによるものです。「原因と結果の法則」は、全宇宙の鉄則ともいえます。 これには、今後何度も触れていきますが、他のすべての法則は、この法則を言い換えたものにすぎません。 この法則はまた「種まきと収穫の法則」とも呼ばれ、何を撒こうと、刈り取るのは自分だということです。 この「原因と結果の法則」を身に付けらば、完全な人生のコントロールも夢ではありません。 原因と結果の因果関係、つまりすべて起こることには理由があると信じるならば、人生のコントロールは、驚くほど容易になります。 成功の原因が見えてくるようになり、人生が思い通りになってきます。 「原因と結果の法則」を応用するときに大事なのは、思考が原因であり、状態が結果である、思考が原因であり、状態が結果にすぎないということです。 目に見える現象は、単に思考の結果なのです。思考がすべての出発点です。 仕事の捉え方、人間関係の見方、健康に対する考え、また将来に関するあなたの考え方が、原因となって、いろいろな現象が起きてくるのです。 ですから、状況を変えたいと思うならば、その原因となる考え方から変えなければなりません。 心の中からまず変えていくのです。

ところで、すばらしいことに、この宇宙に一つだけ完全に思い通りになることがあります。 それはあたなの考え方です。 思考を思い通りにコントロールし、自分の目標に向かって積極的に思い続ければ、 あとは自然の法則が作用して、必然的に良い結果がやってくるのです。

次の法則は「信念の法則」です。 「信念の法則」とは、こういうことです。 なんでも、心から熱意を持って信じれば、この熱意というのが大事なのですが、願望は現実になるのです。 なぜなら、あなたは自分の信念に沿った行動を取るようになっていくからです。 事実、今現在のあなたは、あなたの内に秘めた強い信念が外に表れたものなのです。 積極的にしろ、消極的にしろ、信念は現実になります。 ヘンリー・フォードの言うとおり、できると思えばできるし、ダメだと思えばダメなのです。 何かを強く信じれば、その信念がフィルターとなって、目的に必要な情報だけを、取り入れるようになっていくのです。 人間の心は、一貫性を求めるものなのです。 そのために、自分の信念と周りの世界との間でつじつまを合わせようとするのです。 しかし、あまりに強い信念は、時には周りの世界を自分の眼鏡で見、合理化をし、自分に都合よく解釈するようになります。 つまり、自分の思い込みで、世界を見てしまうのです。 これを、「ブラインド・スポット」といい、つまり、盲点を作り出してしまいます。 他のいろいろな可能性が目に入らなくなり、チャンスを見逃してしまうのです。 成功すると信じなければ、そのチャンスもないでしょう。 ですから、私たちは信念を変えることによって、現実を変えるのです。

例を出しましょう。 あるアメリカ中西部出身の男の子の話で、心理学専門誌に載った実話です。 彼は中学、高校とオールAでした。 高校三年の終わりには大学進学のテストを受けました。 数週間後、大学から返事が来ました。 あなたは98点という優秀な成績を修めた、ここに新学期より入学を許可しする、というものでした。 彼は受験に対する詳しい知識がなかったので、98と言うのは、たぶんIQのことだと思いました。 しかし、IQ98というのは、平均より少し低く、大学レベルには20も足りません。 高校もずっとオールAだったのに、彼は自分の思い込みで突然勉強を投げてしまいました。 大学なんてとても無理だと思いながら、それでも新学期に入学しました。 最初の学期の成績は惨たんたるものでした。 カウンセラーは彼を呼んで聞きました。 どうしたんだね。 高校では優秀だったんだから、ここの勉強は君にはそんなに難しくないはずだよ。 ガールフレンドかい。 トラブルかい。 それとも環境が変わりすぎたせいかな。 いったい何だ。 先生、ボクは一生懸命やっているんです。 でも、IQが98しかないから。 カウンセラーは細部を見ました。 なんだって? はい、合格通知に98と書かれていました。 君、それはIQじゃないよ。 全国でこのテストを受けた中の98%の生徒より成績が良かったってことだよ。 君はこの大学でもすばらしく優秀なトップクラスの学生なんだよ。 彼は家に帰って、大学受験テストを見直してみました。 98がIQでないのは本当でした。 2年後、彼は3万人の学生のうち、トップ10に入っていました。 また、評価はすべてAでした。 彼の状態は変化しました。 つまり、一度自分の信念を変えると、現実もそれに釣られて変化するということの証明です。

この話で重要な点は、自分の限界を自分の思い込みで作ってしまうということです。 誰でも自分の限界はココだと決め付ける傾向は多少は持っています。 自分は賢くないとか、想像性に欠けるとか、稼ぎが良くないとか、セールスが苦手とか、多勢の前で話せないとか、時間を守れないとか、機械に弱いとか、数え上げればキリがありません。 ある研究に寄れば、人間の才能というものは、誰でも大差ないそうです。 我々が感じている能力の限界というものは、現実にはなく、それはすべて自分の思い込みなのです。 成功への第一歩は、まず、自分の限界という思い込みを疑ってみることです。 そして、それを取り除くことからはじまります。 限界なんて無いと思って行動すれば、本当になくなるんです。

さて、そこで次の法則、「期待の法則」です。 この「期待の法則」というのは、信念の法則と同様、全人類の歴史を通じて研究されてきたテーマです。 偉大な哲学者ウィリアム・ジェームズも言ったように、人は心に思って信じたことはその通りになる、つまり、信念は現実になるのです。 「期待の法則」というのは、思わなければ実現せず、思えば実現する、というものです。 あなたの期待、特にこうなれば良いなという結果への期待は、自己実現への立派な予言です。

ハーバード大学のロバート・ローゼンタル教授は、この法則、「期待の法則」について、 三百種あまりの実験をしました。 その結果、あなたの持つ期待は、周囲の人々や出来事、状況にも影響を与えることがわかりました。 たとえその期待が、まったく誤った情報に基づいていたとしてもそうなるのです。 何か良いことを、確信を持って期待すれば、驚くなかれ、何とそれは本当に起こるのです。 反対に、悪いことでも、思い込みを持って期待すれば、本当に起こってしまいます。 成功した人たちとは、いつも良いことが自分の身に起こると信じて疑わなかった人たちです。 いわゆる、積極的な期待と態度が成功者たる所以なのです。 成功者は、いつも良いことを期待し、その結果もあらかじめ確信しています。 その確信の最後まで貫き通します。 たとえ、間違った情報に基づく期待であろうと、強く思い続ければ、現実になるのです。

「期待の法則」の例を挙げてみましょう。 数年前のロ-ゼンタル教授のさまざまな実験によると、教師が生徒に対して抱く期待は、生徒の学習能力に、絶大な影響を及ぼすことがわかりました。 そこで、教授が考えた実験はこうです。 彼は学年のはじめに、サンフランシスコのある学校へ行き、校長先生に頼んで、三人の教師を選んでもらいました。 そして、その先生たちが、学校中で最も優れた教師であると校長先生に宣言してもらったのです。 そして、前の学期に、IQテストで選んでおいた、最優秀の生徒たち30人ずつを、それぞれの教師に担当して欲しいと話しました。 コースは一年間で、専門家の判断によると、この生徒たちは学年末までに、平均20ないし30%も成績を伸ばす力を持っているということになっていました。 たった一つの条件は、生徒たちにも親にも、そのことは言ってはいけないということでした。 教師たちは、これまでとまったく同じ教え方を貫き、モニターでもそれを確認することになっていました。 ですから、最優秀の生徒30人を1年間教えることになったというのは、ただ教師だけに知らされていたわけです。 先生たちは喜んでクラスを受け持ち、驚くほど熱心に指導に当たり始めました。 放課後の時間も割いて、かつてないほどに、これらの生徒たちを真剣に指導した結果、なんと、この3つのクラスは、学校でトップになっただけではなく、学区内でもトップに躍り出たのです。 学年末に、また校長先生は3人の先生たちを呼んで言いました。 すばらしい活躍だったね。 先生たちは答えました。 はい、感激です。 生徒たちは優秀でやるき十分でした。 そこで教授たちは、実を言うと、これは実験だったんだ。 生徒たちは学年はじめに、くじ引きで90人を選び出しただけで、彼らのIQだって誰も知らなかったんだ。 と、真相を明かしました。 すると、先生たちは互いに顔を見合わせて、それは驚いた。なぜあの子たちはあんなに優秀だったんだろう。 自分たちがトップ3の教師だからに違いない、と言ったのです。 しかし、校長先生の答えはこうでした。 いや、学年はじめに全校の先生の名前を帽子に入れて、最初に出てきたのが君たちの名前だったんだよ。

これがいわゆる、ダブル・ブラインド実験です。 他の条件をすべて同じにして、期待の要素だけを加えるのです。 先生たちの期待は明らかにされ、あなた方は優秀な教師であると伝えられていました。 一方、生徒への期待は生徒には伝えられていませんでした。 ただ、先生たちが彼らを優秀な生徒として扱ったため、生徒たちは驚くべき勢いで力を発揮し、あるクラスなどは、この一年でIQ指数を25も伸ばした生徒もいたほどです。 この後にも、同じような実験でIQ指数が27も上がった生徒が出ました。 つまり、教師が生徒に高い期待を抱いていると、生徒の方でも、驚異的な力を発揮するということです。 近頃のスラム街で有名な教師、マーガ・ポリンズは、教師の方で生徒たちが非常に優秀であると信じ込んで指導をすれば、生徒の成績はメキメキ上がるといっています。 期待することが人生でどんなに大事かわかりますね。

人生で最初の期待は、親から子への期待です。 これが人生を少なからず左右します。 私たちは、良かれ悪しかれ、期待を裏切らずに生きようとする傾向を持っています。 もし、親が子どもを愛し、勇気付け、信じていれば、子どもは知らず知らずのうちに、その期待に応えようとするのです。 もし、親が成績が悪いと言っていつも口やかましく子どもを叱り飛ばすようなら、子どもは当然萎縮し、消極的になってしまうでしょう。 さて、あなたの両親の期待は肯定的でしたか。否定的でしたか。 勇気付けてくれましたか。 今のあなたにどのように影響していますか。

二番目の期待は、上司からの期待です。 組織での、能力の発揮に関する研究でわかったことは、上司の期待が高ければ高いほど、高い業績が生まれやすいということです。 いつも部下を責めたり、批判したり、また認めようとしなかったり、へい的な態度をとったりする上司を持ったとしたら、その部下は十中八九、力を発揮できないでしょう。 今までのあなたのキャリアを思い出してみてください。 実際、あなたが最も楽しくいい仕事ができたのは、能力を高く買ってくれる上司と恵まれたときではありませんでしたか。 違いますか。

三番目にくる期待は、あなたから周囲の人々への期待です。 特に子ども。 夫や妻。 友人、そして、あなたを尊敬する部下への期待です。 ご存知のように、尊敬する人の言葉や態度には誰でも強く影響されるものです。 もし、あなたが周囲の人々に対して、特に子どもに対して、強く肯定的な期待を持っていると、彼らはその期待に応えようと努力します。 ですから、基本ルールは、周囲の人々に、いつも肯定的な期待を抱くことです。 そして、言葉と行動で表し、絶えず、君ならできるよということです。

四番目の期待は、あなた自身への期待というものです。 最終的には、これが最も効果を上げる鍵になりますが、自分自身に積極的な期待を持ってください。 あたなの人生は一変するはずです。 自分自身に常に最高レベルを期待してください。

ここで、このセミナーを終了した方から聞いた、体験談をご紹介しましょう。 彼は毎朝、ひとつのことを実行しました。 それは、自分に向かって、今日は自分にとって必ず良いことが起こる、今日は自分にとって必ず良いことが起こる、今日は自分にとって必ず良いことが起こる、と言うことです。 この簡単なことを実行することで、彼の生きる姿勢は一変しました。 何か起こると、これがその良いことの前触れかもしれない、と一日中期待と自信に満ち溢れるようになりました。 是非、あなたも試してみてください。 たとえば、夜寝る前に、明日は必ず良いことが起こる、と言い、朝起きたときには、今日は必ず良いことが起こる、と言い、更に一日中、必ず良いことが起こると言い続けてみるのです。 今日からすぐはじめてください。 当たり前な感じに聞こえますが、やってみれば本当に効果があるのです。 きっと、明日の晩休む頃には、数え切れないくらい良いことが起こっているはずです。 たとえば、駐車場が見つかったとか、友達から電話が来たとか、小切手が届いたとか、あなたの生活はきっとすばらしいことの連続でしょう。 ですから、常に期待を持って、今日は必ず良いことが起こると信じてください。 自然の法則によって、必ず良いことが起こります。 私が保証します。 なぜなら、この当たり前と思えることを実行することで、今までに何十万という受講生の人生を変えたからです。

さて、次に取り上げるのは、「引力の法則」です。 この法則は、人間とは生きた磁石だということです。 あなたは、あなたに見合った人々や物事を引き付けます。 この宇宙にあるすべてのエネルギーは振動しています。 すべてのものが振動しています。 このボードも、あなたの皮膚も、すべての物質が振動しています。 なぜなら、分子の集まりだからです。 分子は、放射の法則によって、常に外に向かって振動しています。 いわゆる、エントロピーの法則です。 あなたが何を考えていようと、あなたの思考もひとつのエネルギーですから、外に向かって振動し、光の速さで伝わります。 遠くの人や物にも影響を与えることができます。 こんな経験はありませんか。 ある人のことを考えていたら、本人が電話してきたとか。 誰かに電話をしたら、ちょうどあなたが話題に上っていたとか。 こういった経験があるでしょう。 一種の閃きですね。 また、こんなことだってあるでしょう。 たとえば、仲の良い夫婦だと、今日はあの店で夕食を食べたいと思って、家に電話をすると、相手も同じことを考えていた、ということもありますよね。 これはすべて、「引力の法則」がなせる業です。 この「引力の法則」は人間存在の要だと言う人もいます。 積極的であれ、消極的であれ、あなたの思考は、ちょうど釣り合うレベルの人や物を引き付けるのです。 つまり、どんなことを考えていようが、あなたが常に思っていることは、磁石のような働きをするのです。 だからこそ、自分が欲することや望むことだけに心の的を絞ることが大切なのです。 望まないことは考えないことです。 この方法を習得し、上手に効果的にできるようになれば、「引力の法則」はより早く、より正確に力を発揮するようになります。 くれぐれも方法を間違えないでください。

このセッション最後の法則は、「調和の法則」です。 この「調和の法則」とは、内面と外面の一致を言います。 つまり、こういうことです。 あなたの外部の世界は、言わば鏡、あたなの内面の心の動きを映し出す鏡です。 鏡は単に内面の心の動きを反映してるにすぎないのです。 つまり、あなたを取り巻く世界は、あなたの心の世界の結果であり、心の動きが外部の世界を決定しているのです。 周りの状況を変えたければ、まず、あなたの内面を変えることです。 さて、あなたの健康状態を考えてみてください。 あなたの体調は大部分、心の状態に影響を受けています。 人間関係をみると、それが良くわかります。 いい気分のときには、人間関係だって、スムーズに運びます。 塞いでいたり、イライラしていたら、人との関係も不味くなります。 人間関係は、あなた自身のパーソナリティの正確な反映なのです。 あなたの人間関係を見れば、あなたの人格の良し悪しがわかるのです。 経済的な豊かさも大事な要素です。 あなたの経済的レベル、快適さのレベルは、金持ちになりたい、裕福になりたいという信念に直接関連を持ちます。 外的世界でもっと成功を収めたいのなら、心も豊かにしなければなりません。 心の修練をすればするほど、この心とは我々がコントロールできる唯一のものですが、 これをすればするほど、より急速に外的世界を変えることも可能です。 人生の大きな過ちや、人々が不幸になっている理由というのは、自分の心をコントロールすることもできず、乱れているからなのです。 言わば、車の車体だけを洗ったり、磨いたり、タイヤを替えるなどするだけで、車を安全に速く走らせようとするようなものです。 しかし、何よりも中身の機能が大事なのです。 そうです、あなたの心、内面の心の動きを変えれば、外的世界も変わってきます。

有名な献納家アール・ナイチンゲールは、夜中に目を覚まし、突然閃きました。 彼の人生を変え、また多くの人生を変えた、その閃きとは、今までも言ってきたように、 人間は自分の考えた通りの人間になることでした。 思考とは、人間が支配できるただひとつのものですから、もし、あなたが自分の考え方を変えれば、あなたの現実も変わり出すでしょう。 もし、あなたの期待することを変え、信念を変え、したる考え方を変えれば、心の動きも変わり、その新しい考えに沿った人々や環境、出来事、チャンス、その他、すべてのものを引き込むようになります。 成功できない人は、いつも失敗することばかり考えているからです。

もう一つ大事なことは、すべては心が引き起こすということです。 すべては心が引き起こします。 私たちは精神世界に住んでいるのですから、すべては心が引き起こすのです。 世界を変えたければ、まず考え方を変えることです。 そうすれば、この重要な格言に気づくでしょう。 思考を変えれば人生が変わる、思考を変えれば人生が変わる、考え方一つで人生は変わるのです。 さて、今まで生きてきて、我々は膨大な量の情報を蓄積してきました。 そして、また、膨大な量の経験も蓄積してきました。 良いものもあるでしょう。 悪いものもあるでしょう。 すべてが蓄積されているのです。 そして、その一つ一つが、今現在のあなたを創っているのです。 考え方を変えれば、人生も変わるのです。

このセミナーを受講していくうちに、必ず、どうやってあなたの考え方を変えれば良いのか、また、幸せでダイナミックで、活力に溢れた人生にするには、どういう発想の転換をしたらいいのかお分かりになるはずです。