2010年7月15日木曜日

05 人生の主役は自分だ

メモ書き

ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
05 人生の主役は自分だ

さて、テイクパフォーマンスへの第一歩は、健全な自尊心であることは既にお話しました。 どれだけ自分を好きで、どれだけ自分を愛し、価値ある存在として受け止めることができるかということです。 テイクパフォーマンスへの鍵は2つあると思いますが、2つ目は自分に対する責任感です。 自尊心と自分に対する責任感は、切っても切れない関係です。 自分に対する責任感とは、自分で自分の運命を切り開き、人生の主人公は自分だ心得、今の自分の在り方も、これからどうなって行くかも、すべては自分の責任でしかないのだと認めることです。 人間の存在を超えた神の力を信じて、すべては神のみわだとするのもいいでしょう。 でも、神は自ら助くるものを助くということもお忘れなく。 この現実社会において、あなたに起こることはすべてあなた次第なのです。 もし、嫌なことがあれば、変えていくのはあなた自身です。 責任から逃れる道はありません。 この責任という問題については議論が続出していますが、難しい問題です。 人間としての潜在力を発揮するためには、この責任について的確に理解することが大事なのだということはこのセクションでわかるでしょう。

ところで、私たちは最初は幼児として人生に乗り出します。 これを愛としましょう。 私たちは幼児から成人へと成長していきます。 成人年齢を二十歳とします。 生まれたときはゼロだった責任も、成長するにつれて次第に大きくなり、それが二十歳になるまで続きます。 もし、両親が正しい子育てをし、自立心を植え付け、自分のことは自分で考え、決断できるように育ててくれたら、二十歳になったときは法的にも心理的にも道徳的にも、そして心身ともに自分の人生を引き受ける用意ができているでしょう。 もし、子どもが成人になるまでに、両親が十分に責任感を育てなれなかったとしても心配ありません。 二十歳を過ぎれば、それからの人生は100%本人の責任だからです。 その後の人生においては責任から逃れることはできません。 これ以降の人生で起きることは、例外なくすべて自分の責任になります。 自分で責任が取れる人は、皆、何が起ころうとそれはすべて自分次第だと思っています。

ヘンリー・フォードの言ったように、不平は無用、弁解も無用、不平は無用、弁解も無用なのです。 気に入らないことがあるとしたら、それを変革するのはあなた次第です。 ただし、変革していく努力を厭うなら、不平を言わず受け入れよということでしょう。 誰であろうと、責任感のある人は人生の苦しさを嘆いたりしません。 人生の難しさをあるがままに捉え、何か行動を起こすか、黙っているかのどちらかです。 すべては私次第、あなた次第なんです。

これを本当に理解するのは困難なことです。 子ども時代は、親に依存するのは当然です。 完全に依存した状態では、自分に起きるすべてのことを周りのせいだと考える行動パターンができあがります。 気をつけていないと、大人になってもこの依存心を引きずり、子ども時代の見せ掛けの安心を求めようとします。 あの頃は誰かが身の回りの世話をすべてしてくれた。 食べ物も、着る物も、住む場所もあり、すべてが揃っていて何も心配しなくて良かった。 学校へ行ったら行ったで先生や友達が居て、その上、何もかも揃っていた。 油断すると、常にそんなことを考え、社会人になってからも責任を取ってくれる誰かを求めようとする依存心が抜けなくなります。 後でお話する自己開発の問題にも関係しますが、多くの人々は集団で学校教育を受けてきた結果、更に学問を続けるかどうかは周り次第と考えて、一緒に続けようという人が周りに誰も居ないと自分もやらないのです。 成熟と未成熟の違いはそこなんです。

簡単な例を挙げましょう。 これが幼児から大人に至る人生としましょう。 誰でもいつかは遅かれ早かれ、この断崖に達しますが、こちら側は未成熟の領域、つまり子どもの時代です。 こちら側では常に周りに依存していて、他人に問題解決してもらおうとして周囲ばかり見ています。 ここで崖っぷちに立たされます。 この崖からは、成熟の世界、つまり大人の世界が見えるのですが、子どもから大人になるには、向こう側までひとおもいに飛ぶ決心をしなくてはなりません。 無理やり飛ばされることもあるでしょうし、いつの間にか飛んでいることもあるでしょう。 何れにせよ、いつかは自分の人生は自分の責任であり、運命を切り開くのは自分であることを正面から受け止めなくてはならないのです。

ところが、ここまで来たところで大抵の人はここで背中を向けてしまうのです。 そして、結婚という安定に逃げ込んでみたり、会社に入って上司に頼ろうとします。 とにかく、すべての出来事を周りの人々や状況のせいにして、自分は責任を取らずに生きようとするのです。 体格がこうだから、健康がこうだとか、生い立ちがこうだからと言って、すべてを自分の責任とはしません。 たまに責任らしきものを取ったとしても、それはほんの少しだけで、崖を跳び越すのに二歩くらいで行こうとしてるようなものです。 そこで、大多数の人は、残念ながら谷底に落ちてしまうわけです。 言い訳の谷底ですね。 この谷底で言い訳をしながら過ごし、一歩も前進しないで終えてしまう人々は実に多いんです。 昔から言い古された言葉があります。 言い訳病です。 自分の失敗や未熟さに対して言い訳ばかりする習慣は、まさに病気です。 しかも、この言い訳病は、成功するためにはまさしく致命的な病なのです。 ですから、責任について大事なのは、責任逃れするときにあなたはどんな言い訳をするか見直してみることです。

ロシアの文豪トルストイの白兎の有名な話があります。 それは、庭の隅に一つの箱があって、その箱の中に人生の疑問を解く答えがすべて入っているのです。 ところが、それは植え込みのどこかに隠されています。 それを見つけるには、ただ一つだけ条件があって、もし大きい白兎のことを考えてしまったら絶対に見つけられないというのです。 白兎のことを考えなければ箱は見つかり、人生の謎はすべて解けることになっています。 もちろん、箱を見つけて人生の謎を解いた人は居ません。 みんな白兎のことを考えてしまうからです。

そう、私がお話したいのは、あなたにとっての白兎は何か、つまり、あなたの心をいつも占領している言い訳は何か、それはどんな言い訳か、ということです。 新しい仕事やチャンス、生活を変える切っ掛けを逃がしたときなど、あなたの頭に浮かぶ言い訳は何ですか? あなたはこう言うでしょう。 う~ん、できないよ、だって、それに、もちろんやりたいよ。 でも無理だよ。 理由は何ですか? 若すぎるから? 歳を取りすぎているから? 背が高いから?低いから? 学歴がないから?ありすぎるから? タイミングが悪いから? さて、あなたの白兎は何でしょう? あなたの心の中に言い訳の種を植え付け、あなたの責任能力を奪い、未熟な子どもの国に引き戻す、その言い訳の根拠は何でしょう。 これが究極の質問です。

さて、責任について考えるときに、忘れてならないことがあります。 それは、責任を取るか取らないかには、選択の余地は無いということです。 私たちは、ここでちょっとあとでちょっとというような責任の取り方をしようとします。 責任には選択の余地は無いのです。 二十歳になった瞬間から、100%の責任が圧し掛かってくるのです。 選んでいる場合じゃないんです。 殆どのものは自由に選択できますが、責任感だけは違うのです。 これは絶対的義務なんです。 もし、潜在力を発揮したければ、目標を達成したいと願うならば、そのような環境を整え、変革をし、必要な決断を下す絶対的義務があなたにあるのです。

責任、英語の Responsibility という言葉は、分解すると Response 反応、そして、Ability 能力になります。 私自身、歴史を勉強してわかったことですが、勝者と敗者の違いは問題の違いではありません。 人の一生というのは、誰でも周りから想像できないほど難しい問題や障害を持っているのです。 ですから、人生の勝者と敗者の違いは、その問題や障害にどう反応するかにあるのです。 違いというのは、問題の対応の仕方にあるわけです。

だいぶ前に、オズワールド・スパングラーという人は、問題処理の理論という本を書きました。 これは、文明の盛衰は試練に直面したときに人々がどう対処するかで決まるというものです。 文明は、はじめは小さい共同体からスタートし、必ずと言っていいほど外敵、あるいは自然環境の挑戦を受けます。 こうした試練に直面するたびに、果敢に対処していければ、次第に成長していきます。 こうした過程に、うまく対処できた共同体が偉大な文明を生むことになります。 スパングラーが世界史上の21の帝国を研究した結果、すべてこのサイクルに従っていました。 問題対処の能力と気力を失わない限り、文明は成長し続けるのです。

なぜ、この話をしたかというと、私たち人間にもまったく当てはまるからです。 責任転嫁をすることなく、人生が投げかけてくる問題に肯定的に対応し続ける限り、私たちは向上していけるのです。 アルベルト・シュヴァイツァー、ウィンストン・チャーチル、ジョージ・ワシントン、エイブラハム・リンカーン、フランクリン・ルーズベルトなど、歴史上の偉大な人物は、みんなそれぞれの時代の挑戦を受けて立った人たちです。 こういった人々に近づくためには、毎日の小さな挑戦を受けて立つことから始めれば良いのです。 つまり、何が起ころうと、挑戦を受けて責任を取り、弁解を避けて進むことです。

現在社会において、注意して取り組まなければならない3つの問題点があります。

第一は、政治に関することです。 考えてみると、人というものは何でも政治のせいにする強い傾向があります。 政治が悪いんだと、政治に責任を転嫁しようとします。 こういう人たちは、政治に親の役割の担わせ、自分たちを守り、世話をさせようとします。 自分の役に立つからといって政治家を選ぶならば、コントロールを委ねることになります。 お分かりのように、コントロールを人に委ねることはできても、責任を逃れることはできません。 コントロールを委ねることは、投票するにあたって政治家に金を使い、自分の仕事を管理させ、収入さえも委ねてしまうことになるのです。 つまり、こういうことです。 国の体制が自由主義であれ、社会主義であれ、個人の生活のさまざまな試みに対して、政治に責任を持たせようとすることと言えます。

さて、第二の問題は、皆さんも良くご存知のように、犯罪に関することです。 この犯罪構造は、すべての犯罪者の特徴として、犯した罪の責任を絶対に取ろうとはしないことを前提としています。 いつも他人や環境のせいなのです。 子ども時代やその背景や周りのせいなのです。 しかし、犯罪行動から抜け出すには、まず、犯した罪の責任を認め、私がやりました、やらされたわけではありません、責任は私にあります。 そうなれば、二度と繰り返しません。

第三は、医療の問題です。 今日、私たちが抱える医療に関する問題は精神的なもので、自分自身の思い込みに寄るものです。 平均的なアメリカ人は、4キロないし8キロ太りすぎています。 医療に関しては、医者に責任があると考えています。 ちょっと考えてみてください。 もし、あなたが無人島に居て、医者も看護婦も病院も薬も何も無かったとしたら、いったいどうしますか? 頼れるものは何もありません。 ここが大切なポイントです。

我々の社会では、私の責任じゃない、他の人の責任だという人たちが溢れています。 しかし、ここが鍵なのです。 私たちは選択の自由があるのです。 どういう対応をするかはあなた次第です。 どんな質の感情を持って生きるかはあなた次第です。 どういう対応するかによってあなたの感情も決まるのです。 怒りや幸せ、不安を感じるのもあなた次第です。 朝起きたときに、どんな心がけで過ごすかを決めるのはあなた次第です。 健康状態を決めるのもあなたです。 何を食べ、何を飲むか飲まないかを決めるのもあなただけです。 経済面の質を決めるのもあなたです。 どんな仕事でどれだけ働くかを決めるのもあなたです。 何をしたいかはあなたが決めてください。 自分の人生を変えたければ、まず全面的に無条件で自分の人生に責任を持つことから始めましょう。

私がこの責任の概念を発見したのは21歳のときでした。 当時、私はボロアパートに住み、氷点下の建築現場で働いていました。 車も無く、蓄えも無く、着る物といえば着古したものでした。 高校も中退していました。 ある寒い冬の日、小さなアパートで、未来も無く、語るほどの過去も無い自分に語り掛けました。 人生を変えるのは、自分次第だ。 そのとき、私は本当にゾッとしました。 雷に打たれたような気持ちがしたのです。 自分の人生を変えるのは自分自身だと気付いたのです。

もし、皆さんに教えることがあるとすれば、ただこの一点です。 それは、幸せになる第一歩、そして、自分の人生を完全にコントロールするための出発点、更に、成功と目標達成への出発点は、無条件に責任を受け入れることです。 何をするかどうかは自分次第、何をするかはあなた次第なのです。

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