メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
06 ネガティブな感情を取り除く
引き続き、責任と無責任についてお話しましょう。
私は1972年に形而上学に興味を持ち、人間の潜在能力の発達と心理について勉強していました。 そのとき、あることに思い当たりショックを受けました。 今でもショックが続いています。 それは、無責任さと否定的感情はリンクし合うということです。 リンクし合うというのは、つまり、否定的感情は私たちの人生を大いに阻んだり、ダメにしてしまうという事実です。
人生の目的は、言うなれば、より高い心の平安、幸福、充実感、満足感を得ることです。 落ち着いてこう自問してください。 人生の真の喜びと手にするのを妨げているものは何か。 その答えは決まってある種の否定的感情です。
さて、私たちはいつも日々味わっている否定的感情、誰かが死んだとか、莫大な被害に遭ったとか、とうことについてくどくど言うつもりはありません。 心の平安や健康、活力を奪い、豊かな人間関係、経済的自由、充足感などを蝕むものについて、話すつもりはありません。
ここでは、その否定的感情を取り除くことから責任感を持つということについて話したいと思います。 これは私にとって人生最大の発見の一つですが、つまり、こういうことです。
表を書いて説明しましょう。 こんな表です。 上から下へと書いていきます。 この高いところは、非常に責任感の強い人を表し、こういう人は自信にみなぎり、自分に責任が持て、言い訳など絶対にしません。 一方こちらは、無責任な人を表し、こういう人は何事にも言い訳をする人です。 ここが積極性の最高で、こちらが最低です。 私たちは誰でも、何か決心をするときに、この表を行ったり来たりするのです。
さて、私が閃いたというのは、前にもちょっと触れましたが、人生の舵を自分で握っていると感じるその度合いは、自分の積極性や幸福の度合いと正比例するということです。 つまり、自分で引き受ける責任の度合いと、自分で人生をコントロールしている度合いは正比例の関係にあるのです。 また、責任を引き受ける度合いは、自分が持っていると感じる自主性とも正比例すると言えるでしょう。 自主性というのは、幸福の絶対条件です。 真の成功、真の幸せとは、周囲の意見ではなく、自分の生き方を自分の意思で決め、自由に生きることを言います。 鳥のように自由に羽ばたくことなのです。 そうです、責任、コントロール、そして自由は直接関係し合い、更にこの3つは積極的感情とも直接結びついています。
さて、積極的感情はすばらしい感情で、幸福、愛、喜び、活力、エネルギー、豊かさ、情熱、興奮などを指します。 しかし、反対に、もう一方の端は無責任な生き方を表すものです。 どうなると思いますか。 私もどうなるかわかったときには本当にショックでした。 というのは、コントロールを失ってしまうのです。 無責任であればあるほど、コントロールを失い、心の均衡が崩れてしまい、自分の人生の舵取りもできなくなってしまうのです。 自分の人生の決定権を失い、しかも、外的な力によって翻弄され、言うなれば、外的力の犠牲者になってしまうのです。 このコントロールと自主性の欠如は、否定的感情への第一ステップと言えます。
このことがわかりかけたとき、私はなるほど、でも両親や自分の子ども時代はというと、仕事にも恵まれなかったし、大した友達もいなかったし、体の調子も、健康だって、経済的にも大したことはなかったなぁと思いました。 同時に、こういうことは忘れることに気付いたのです。 あなたの最終目的、目標が、幸福感とか喜び、自主性、情熱などの積極的感情に満たされることならば、言い訳などしないようにすることです。
精神分析医として有名なカール・ネルガーは、こんな面白いことを言いました。 つまり、肉体的疾患にはいろいろあり、その原因もバクテリア、ウイルスなどといろいろだが、心の疾患は皆同じであり、違うのはその程度の差が大きいか小さいかだけだ、と。 更に、精神科医のトーマス・サレズは、心の疾患の神話という著書の中で、 「心の疾患などというものは無い。それは単にさまざまな度合いの無責任さに他ならない」と言っています。
無責任な人というのは、悲観的、否定的というだけではなく、心が病んでいる人でもあります。 反対に、すべてに自分の責任が取れる人は、心も健康です。 どう思いますか。
さて、私は皆さんを向上心溢れる人にだと思います。 こういうセミナーに参加するほどですから。 自分の会社の業績にどれくらい責任を持とうとするか、その量の大きさと会社で得られる権力、影響力、地位の高さとは切っても切れない関係にあるのです。 それは将来ともに係わってくるのです。
責任感のグラフでトップにいる人は、責任を全面的に取れる人で、権力やチャンスはこういう人たちのところに引き寄せられるのです。 反対側の端は、無気力で、ここに居る人たちというのは、まったく無責任でコントロールを完全に失っています。 こういう人たちには強制服を着させ、安全保護室に閉じ込めるのが本人の為でもあり、周りの為でもあるのです。無気力でコントロールが効かず、自主性が無いのですから。
さて、自分で責任を取ろうとするたびに、このグラフの上へと動いて行きます。 反対に、言い訳をするたびにグラフを下降します。
では、否定的感情と無責任さとの関係について、もう少し詳しくお話しましょう。 そうすれば、もっと良く理解できるはずです。
たとえば、そう、ここに木があるとします。 いいですか、これが幹で、これが葉です。 これを否定的感情の木とでも呼びましょう。 この木には否定的感情しか実りません。 たとえば、恐怖感とか不信感がそうです。 その中でも、自己不信が最悪だとする意見が多々あります。 この感情は、酷く人を消極的にします。 更に、憎しみという否定的感情があります。 羨望や恨み、これに準じる罪悪感があります。 根強い否定的感情です。 否定的感情には54種類あると言われていますが、今言った感情は常に上位を占めています。 もし、こういう否定的感情を煮詰めていくとお気に入りの感情が残ります。 人というのは、何かしらお気に入りの否定的感情を持っているもので、嫉妬心の場合もあるでしょうし、自己憐憫などもかなり多くあります。 更に煮詰めていくと、最終的には怒りの感情になるのです。 それが、内側に向けばこれは自分が傷つきますし、外側に向いたときには人が傷つきます。
さて、ここでこの木の構造を調べてみましょう。 この木には根があります。 この根から栄養が送られて木が育ち、花が咲き、否定的感情という実が育つのです。 根を調べると、何が栄養になっているのだろう、何が否定的感情を育て、肥料は何なのだろう、何を燃やしているのだろう、何を埋めるのだろうと疑問に思います。 そして、木が生きるには2つのことを必要とすることがわかります。
1つは自己正当化です。 自己正当化、つまり、なぜこうした感情を持つのか、その正当性を自分や人に対して言い訳をするのです。 もう一つは、いわゆる自己同一化です。 つまり、物事を自分と結びつけて捉えます。
人というのは、自分が自分の弁護士になるなんてそんなことはありえませんし、自分が自分の医者にもなれるわけはありません。 というのは、あまりにも自分とその状況とを結びつけて考えるあまり、非常に感情移入がされて盲目的になるからです。 ですから、大いに説明できるような正当な理由が無ければ、否定的感情など持つ必要はありません。 この感情には、自己の正当化と自己同一化が必要になります。
たとえば、もし誰かが今駐車場で他の車にぶつけてしまったと言ったとしても、自分の車と関連付けない限り、あなたは何の動揺もしませんね。 しかし、もし彼らのぶつけた車があなたの車で、そのまま逃げられてしまったとしたら、それこそ本当に頭に来るでしょう。 しかし、このような反応は自分が選んでいるのです。 これについてはあとで説明しましょう。
さて、自己正当化はどうすれば無くせるか、また否定的感情の根を絶やすにはどうすればいいのでしょう。
この木を枯らすには、物事を裁かないようにすることです。 聖書にも裁かれたくなければ裁くなと書いてあります。 取り分け、聖書は哲学書であり、物理学、生き方の教科書でもあります。 物事を裁くのをできるだけ避けなさい。 あの人のせいだとか、この人がしたことだと言って裁かずに、オープンで偏らないようにしてください。 偏らないことが秘訣です。 これで否定的感情を抑止できます。
否定的感情については、長年の研究の結果、これは火花のようにスパークするということです。 私たちが、この感情に拘り、正当化し、結果を裁こうとすれば、それは大きくなります。 そしてついには、心を埋め尽くしてしまいます。
次は、自己同一化についてですが、 これに対して成すべきことは、非同一化することです。 客観的に偏らずに捉えてください。 一歩引いて捉えるのです。 問題があるが、私がその問題ではないとか、障害があるが、それも私ではないなどと思ってください。
まず、この2つの正当化と同一化を止めるのです。 物事を自分と結び付けないで、感情移入をしないことです。
こんな経験はありませんか。 何か悩みを持った人が相談に来たとき、あなたの方があまりにも感情移入して係わる為に、本人は当にケロリとしているのに、自分はいつまでもカッとなっていたりしたこと、これは物事をあまりにも自分と結びつけて考えてしまった結果なのです。
しかし、ここに否定的感情を取り除く秘訣があります。 これが最も重要なことですが、この幹、幹から切り倒すことです。 この幹とは他人のせいにする感情のことで、否定的感情の99%も占めるのです。 このような否定的感情がどこから生まれるのかを知ることは大変重要です。 これは内面から外へ出される感情で、外的なものに端を発していません。 つまり、周りの人や状況から生まれるものではなく、周りの状況への反応の仕方から生じるのです。
良い例があります。 二人の人が同じ状況に遭ったとします。 交通渋滞とか、態度の悪いウエイターなど、何か事が起きると一方頭に来たり、イライラしたり、怒ったりしますが、もう一方の人は悠然としているのです。
また、こんな例もあります。 同じ人でも、日によって違います。 会社に遅れそうになって慌てて家を出たところ、交通渋滞に巻き込またりします。 すると頭に来てイライラします。 でも、次の日は早めに起き、余裕を持って会社に出掛けます。 そこで、交通渋滞に巻き込まれても、まったく気にならないのです。
この2つの話は、否定的感情が状況から生まれるものではないことを表しています。 つまり、生活の上で、どんな質の感情を選ぶかはあなたの自由です。 怒りたければ怒ればいい、いいですか、誰かに言われたわけではないのです。 怒りにせよ、緊張にせよ、またイライラにせよ、誰にもそうしろと言われたわけではありません。 どんな気持ちを持つかは、あなたの自由裁量です。 ですから、気をつけていないと、いつも人のせいにするような否定的行動パターンが癖になってしまいます。 これは、否定的感情の核を成すものです。
人のせいにすることを止めれば、この否定的感情の木を切り倒せます。 そうなれば、一瞬のうちに否定的感情を元から絶つことができます。 ちょうど、この否定的感情はクリスマスツリー、いや、それよりむしろ、フラグに繋がれたチカチカ光る豆電球のようなものです。 この豆電球のプラグを引き抜くと、どうなると思いますか。 そうです。 明かり、つまり、否定的感情は一瞬にして消えてしまいます。
そうなるためには、どうするか。 「置き換えの法則」を活用すればいいのです。 この法則は、意識は一度に一つのことしか考えられないと言っています。 どういう感情を持つかを決めるのは、この意識です。 そして、潜在意識に作用しています。 この意識は、一度に一つのことしか考えられないのです。 ですから、否定的感情の元凶となる「人のせいにする考え」を叩き出してください。 代わりに、私は責任が取れる、私は責任が取れると断言すれば良いのです。
これを、私は自分が好きだ、という言葉を一緒に言えば、これほど積極性を養うのに効果的な言葉はありません。 私は責任が取れる、と言った瞬間にあなたはもう人生のハンドルを握っているのです。 この言葉を言って、否定的感情に成ってしまう人は居ません。 これで意識の中からマイナス思考を叩き出しましょう。
さあ、始めてみましょう。 誰だって腹が立つことはあります。 そのことのことを思い出すだけで、腹が立つこともあるでしょうし、そのことのことを考えただけで、腹が立ったり、気が滅入る場合もあるでしょう。 この状況に陥りそうになったとき、こう言って中和してください。
ちょっとまてよ、それは自分の責任なんだ。
悩みや人間関係ですか。では、そうなったのは誰のせい。 銃でも突きつけられましたか。 それとも、自分で招いたのですか。 悩みは仕事ですか。 それとも、投資問題、健康問題かもしれませんね。 何にせよ、自分で責任を取るのです。
さて、責任を取ることと、ちょっと書いてみましょう。 責任と責任転嫁の違いを考えてみましょう。 責任転嫁をするときは、いつも過去に目を向けています。 もうどうにもならない済んでしまった過去に目を向けているのです。 それに対し、責任を取ることは未来に目を向けています。 中には、責任を取るということは、責めを負うことと同じではないかという人がいますが、それは違います。 この瞬間から、自分の考えに対して、責任を取ることを言っているのです。
さて、駐車場の話に戻りましょう。 誰かがあなたの車にぶつけました。 さあ、そこで選択です。 怒ったり、頭にきて怒鳴り散らすのもいいでしょうし、落ち着いた態度で臨むのも良いでしょう。 また、犯人を必死に探すのも自由ですし、分別ある態度で臨むのも自由です。 責任を取るということは、いつも未来を見つめて、何か事が起きたときには、誰がしたのかではなく、これから何ができるかを問題にしてください。 これから何ができるかです。 これからどうなり、それに対して何ができるか、こう考えるのが責任ある人の態度と言えます。 過ぎたことをあれこれ言わず、解決方法は何だろうと考え、見つけ出してください。 これが必勝法です。
反対に、無責任な人はいつも誰がやったかを問題にし、その犯人を執拗に見つけようとします。 どんな責任でも皆に割り当てないと気が済みません。 無論、こんなことをしても何の解決にもなりません。 ですから、否定的感情を無くすコツは、まず斧を使って責任転嫁の幹を切り倒すことです。 責任転嫁を止められるようになれば、輝かしい未来に向かって離陸です。 責任転嫁をしないことは、否定的感情も無いわけですから、あなたが望む幸せを邪魔していた物事が、突然姿を消してしまいます。
私がこの否定的感情に拘るわけをもう少し詳しく説明しましょう。
実は発見したのです。 私も潜在能力を発揮したいと強く思っていたので、おの発見は驚きでもありました。 それはまず、自分の否定的感情を取り除こうと思わなければ、人は前に進めないということです。 つまり、進歩できないのです。 自分の否定的感情を今この瞬間に捨ててください。 さもなければ、一歩も前に進むことはできません。
ところで、周囲の人や状況に対する否定的感情を持っている場合、これはなかなか責任を取るという気持ちにはなれないものです。 初めのうちは、私に責任があると言いにくいものです。 というのは、責任転嫁が癖になっているからなのです。 でも、時には歯を食いしばって、自分の責任だ、自分の責任だ、と言ってみるのです。 自分の責任だ、自分の責任だ、と繰り返し言えば言うほど、だんだん簡単に言えるようになります。 事実、「置き換えの法則」を活用すれば、たとえ嫌なことを思い出しても、自分の考えと中和することができるようになります。 それでこう言ってください、私の責任だと。
苦手な相手との付き合いに応用する言葉があります。 これは自尊心と否定的感情を絶つことにも関係しますが、この言葉です。 たとえ人に何を言われ、されようと、私は貴重な価値ある存在だ、あるいは、状況がどう変わろうとやはり私は貴重で価値ある存在だ、状況がどう変わろうと私は貴重な価値ある存在だ、という言葉です。
人生の自然の流れは長い道に喩えることができます。 幼い頃は最初から否定的感情などありませんから、誰かが子どもに教えているに違いありません。 子どもは両親から教えられ、身に付けていくのです。 否定的感情を持っている赤ん坊など見たことがありますか。 いつもニコニコしていて、幸せそのものです。 赤ん坊が泣くのは、何か欲しいときだけです。 成長するに従い、周囲の大人の影響を受け、この感情が生まれ、それを背負って生きます。 十代になると、この荷物はもっと大きくなり、仲の良い友達と集まっては夜通し、子ども時代は惨めだったとか、両親や兄弟、先生たちはなんてくだらない人たちだ、などと話し合ったりします。
では、大人になったという証はなんだと思いますか。 それは否定的感情の大きな荷を背負って苦しむこと、これが証です。 苦しむことが証なのです。 つまり、人と居るときはいつもガードを解いて、悩みや苦しみなどの殺し合いをするようになります。 つまり、否定的感情をやり取りすることが、人間関係の基になってしまうのです。
悩みを聞かせてくれれば私も話そう。 こんな子どもじみた行動は、まるでガラクタ市の商人と同じで、さあ見てくれ、惨めなる子ども時代を、酷い人間関係を、出来の悪い上司を、まったく散々だと言ってるようなものです。 そして、互いに嘆きあっているのです。 こんな風に否定的感情を話し合ったり、考えたりしているとどうなると思います。 「集中の法則」です。 なんであれ、こだわれば成長します。 成長して、力も強くなり、活き活きしてきます。
ところで、私も研究するうちにわかったのですが、否定的感情はとても脆く、拘りが必要です。 いつも鮮明にして居たければ、言い続けることが必要なのです。 常に口に出していることです。 さもなければ、たちまち枯れてしまいます。 死んでしまうのです。 また炎のようでもあり、絶えず燃料を補給しないと炎は弱くなり消えてしまいます。 同じように、否定的感情もいつも口に出していなければ、いつも拘っていなければ消えてしまうのです。
しかし、何かすごく心配したり、頭にきたりして、いつもそのことで頭がいっぱいになっているのに、仕事に行って3、4時間忙しくて、それ以外は何も考える間もなく働いていると、ふと、あれ、悩みを忘れてしまった、そうだ思い出した、なんて経験、皆さんもあるでしょう。 何が起きたかというと、悩みが消えかけているのです。 炎のように消えかけているのです。 ですから、元の悩んでいる状態に戻るには、努力して思い出して考え、話、悩まなくてはなりません。
こんなこと良くありますね。
でも、分別のある大人なら、こんな感情は道端に捨て、前向きな人生を歩み出し、歩いていきます。 これからの人生をうまくやっていくのです。 わざわざ掘り起こすさずに捨てていきます。 それはまるで、回収されないゴミの山のようです。 そうすると、人から調子はどうだい、うまくいってるかいと聞かれれば、最高さと答え、人間関係や健康、気分について聞かれれば、絶好調と答え、決まって否定的なことは口にしません。 否定的なことを口にすると、それは育ち、ひいては悪いことを引き込んでしまいます。
悩んでいる人を観察したください。 こういう人たちは、悩んでばかりいて、解決方法を見つけ出そうともせず、常に愚痴を溢しています。 持てる者は更に与えられ、持たざる者は更に奪われるということです。
もう一つ、これも研究の結果わかったのですが、 人間関係に関する重要な点は、誰でも悩んでばかりいると、悩むこと自体が好きになります。 つまり、悩むことに生き甲斐を感じるのです。生き甲斐になるのです。 それだけの代償を払った気になってしまい、つまり、長年悩みを抱きながら暮らしてきたため、それを手放そうとはしません。 そうです、放そうとはしないのです。 たとえ、ねえ、どうして忘れようとしないんだい、捨ててしまえばいいのにと言ってあげても、無理だよ、君にはわからないよ、人間関係にせよ、仕事にせよ、昇進にせよ、どれだけの想いをしてきたことかと反論するはずです。
私も人間関係で悩んでいる人たちの相談に乗りました。 彼らは決まって、私はもう長い間こんな人間関係、こんな結婚生活を続けてきたが、本当に惨めな気持ちだ。 もう愛情も無いし、どうなるものでもないというので、なぜ何とかしないのですか、と私が言うと、今更何をと答えるので、君今我々の平均寿命は75歳から80歳なんだよ。 それでも年々伸びて、今世紀の終わりには80歳から85歳、いや90歳になるだろう。 どういうことかわかりますか。 あなたは今何歳であろうと、20歳、25歳、あるいは35歳であろうと、そんなことは問題ではありません。 平均寿命の80歳から今の年齢を引いた年数、この年数を現状のまま過ごすことになるんですよ。 こんな現状のままで残りの人生を過ごしても良いんですか。 もちろんノーですよね。 こんな状態が続くなんて。
悩むことが好きな人がいます。 こういう人は、悩みを手放そうとしません。 そこで思いついたちょっとした解決法があります。 それを最近、あるカウンセラーに話したところ、実に簡単な方法だと太鼓判を押してくれました。 どんな方法かお教えしましょう。
これはもし誰かに相談に乗って欲しいと頼まれたときは、イエスと言って親身になって話を聞いてあげるのです。 その人の話に耳を傾け、全部吐き出させてあげることはとても効果があります。 中には愚痴ばかり並び立てる人も居ますが、こういう人に対してはじっくり聞いてあげることです。 また、同じ事を繰り返し話す人には、頃合をみてこう言ってください。 う~ん、ほんとにそうだね。 気持ちは良くわかるよ。 でも、自分の人生には責任を持たなくてはね。 責任があるんだよ。それでどうしたいの。 自分の人生に責任を持たなければね。 どうしたら良いと思う。 こう聞くと、きっとあなたの友達は、確かに君の言うとおり、自分で人生を変えなくてはね、なんとかしなくては、と答えて、本当にそうするよう努力を始めるはずです。
事実、悩みを持った人が来て、いろいろ悩みを話したら、ただあなたは、では君はいったい何をすべきだと思うかね、と言ってあげさえすればいいんです。 そうすれば、あなたの友人は話しながら、自分の考えをまとめ、自分で解決法を見つけます。 本当はアドバイスなんて必要としていないのです。 大抵の人は、アドバイスを求めていないのです。 昔から、アドバイスをしたって、その通りにする人はいないのだから、アドバイスをしようとして気を揉むことはないと言われているように、人はアドバイスを求めているわけではなく、ただ共鳴してもらいたいのです。
しかし、中には問題に取り組もうとさえしない人も居ますが、こういう人は、悩みを種にして、あなたに聞いてもらう切っ掛けが欲しいだけなのです。 悩みを種にしているんです。 わかるでしょう。 自分の悩みを話の種にしようとすることは良くあります。 私の悩みはこれだ、一緒に話し合おうじゃないか、と言うようにね。 あなたにはまったく興味は無いんです。 相手は誰でも良いんです。 ただ、聞いてもらいたいだけなんです。
よく冗談で言うんですが、こういう人はあなたのことをこんな風に見ているんです。 いいですか。 こんな風に見ているんです。 これが顔、目、耳という風に捉えています。 そして、ああこの人の目は大きくて、同情的な目で、口は閉じてるけれど、耳は立てて聞こうとしていると思っているんです。 人間として見てないのです。 そして、あなたの悩みにも関心がありません。 ただただ、あなたに聞いてもらって、同情して相槌を打って欲しいのです。 アドバイスをしても従うつもりはありません。
こういう人と出会ったら、友情テストする簡単な方法があります。 それはあなた自身の話をしてみるのです。 君が相談に来てくれて本当に嬉しいよ。 私にも悩みがあってね。 折り入って相談したいと思ったんだ。 次の瞬間、そういう人は時計を見て、あっ、約束を思い出した、と言って、そそくさと立ち去るでしょう。 その早いことと言ったらありません。
さて、最後の重要なポイントに進めましょう。 このセッションで最も肝心なポイントです。 言うならば、まとめとでも言いましょうか。 私が否定的感情を捨てましょうと言うと、誰もが決まって、はいおっしゃるとおりです、筋の通った話しです、私もこの感情を捨て、もっと自分の人生に責任を持とうと思います。 自分の人生は自分でコントロールし、責任転嫁は決してすまい。 ただあることを除いては、と言います。 一つくらい捨てきれないものがあります。 長年苦しんで抱えてきた否定的感情が一つあるものです。 でも、是非捨てなくてはいけません。
その理由を説明しましょう。
ここにすばらしいベンツがあるとしましょう。 ピカピカの新車、600SELで20万ドルもするものです。 どこをとっても完璧な車です。 傷もありません。 ただし、この車のフロントの部分に、ちょっとした問題があるのです。 メカニック上の問題で、ブレーキがロックされてしまっているのです。 あなたのように美しい心と体を持ち、潜在能力にも恵まれ、すばらしいボディに内装、秘めた力を持ち、馬力十分で、キャパシティも驚くばかりです。
さて、600SELのベンツに乗り込んでアクセルを踏んでください。 さあ、どうなるでしょう。 ブレーキはロックされたままです。 そうです。 たとえあなたがアクセルをどんなに強く踏み込んでも、この通り、車はスピンしてクルクル回ってしまいます。 アクセルを放さない限り、スピンし続けます。 フロントブレーキがロックされている限りは、車は前には走らないのです。
つまり、こういうことです。 この否定的感情がたった一つでも残っていれば、それがどんな理由であれ、大体はエゴからくる理由なんですが、同じ場所でスピンしてクルクル回り続け、一生、そこから一歩も先には進めなくなってしまうのです。 才能に恵まれ、チャンスにも恵まれて、教育も高いのに、いつも堂々巡りをしている人がいますよね。 少なくとも、そう見える人がいます。 すべてに恵まれ、うまく行っているのに、次々と悩みを抱える人がいるのはなぜでしょう。
精神分析によると、こういう人は決まって否定的感情、言うならば、その感情の核となる責任転嫁の癖が当たり前になってしまっているのです。 いつも誰かのせいにします。 誰かに酷いことをされて、あいつのせいだと未だに忘れられず、許せない人が居るのです。 思い当たるでしょう。
というのは、私たちは皆、同じ人間だからです。 私もあなたも、わざわざ悩みを抱え込もうとする傾向にあるので、この話が良くわかるのです。 人は十字架を背負いたがる傾向があります。 そして、こういう否定的感情も人間性の一部だと思ってしまいます。 誰かのせいにできないかと考える傾向にあるのです。 あの人は私を傷つけたとか、騙したとか、人間関係をダメにしたと考えやすいのです。
すばらしい実績、最高の幸福、成功への鍵は「置き換えの法則」を活用して、否定的感情を叩き出すことです。 誰かにストレスを与えられてると考えたら、すぐに私の責任だ、ちょっと待てよ、私の責任だ、私の責任だ、私の責任だ、私は自分が好きだ、私の責任だ、自分が好きだ、自分の責任だ、と交互に私の心の平安が崩れたのは誰のせいでもない、私の感情も人生も、すべて自分がコントロールしているのだと言ってください。
そうです。 あなたは、責任が取れるのです。
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