2010年9月5日日曜日

08 心配を吹き飛ばせ

メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
08 心配を吹き飛ばせ

人生の最も大切な目的は心の平安ですが、殆どの人が大切とは考えず、心の平安を持っている人は少ないのです。 もし大切だと考えているなら、その妨げになっているものは何かに気付くのに、こんなに手間取るはずはありません。

前に、大きな障害となる否定的行動パターン、失敗への恐怖と拒絶への恐怖についてお話ししましたが、これらのものは私たちの心の平安を乱す要因です。 それと、罪の意識、未熟者という意識、役立たずという意識、価値がないという意識なども心の平安を乱すのです。

さて、このセッションでは、こうした否定的感情についての、最後の鍵とも言うべき、否定的想像についてお話していきたいと思います。

この否定的想像という言葉は、今世紀の初頭に書かれたある文学作品から来ています。 この否定的想像というのは、私たちが、自分の中に創り出したもので、大きなストレスや鎮痛の原因となっています。 恐怖を呼び起こすと言っても良いでしょう。

最近目に付く、この恐怖の定義の一つは、現実的想像体験と言われているものです。 現実的想像体験、つまり、私たちが心の中で想像したことが、そのことに拘れば拘るほど現実味を帯びてくるのです。

私には子どもが四人いますが、せがまれてなんですが、彼らにホラー映画などを見せた後など、ベットの下や食器棚の中などに怪物が潜んでいるように思ってしまうのです。 想像したことを現実と思ってしまうのです。 あるとき、三番目の子どものミッシェルなど、寝室に怪物がいると言い張って、寝かしつけることができなかったほどです。

否定的想像とは何でしょう。  別の言い方をすれば、心配とか悩みです。 心配とは、優柔不断からくる恐怖の一環です。 優柔不断からくる恐怖の一環と言えます。 言い換えれば、決断を下せば心配など一掃してしまうのです。

数年前に数千人を対象とした調査が行われました。 現在の悩みは何かという調査です。 その集計をしたところ、次のようなものであることがわかりました。 悩みの40%は、有り得ないことについての心配でした。 後になれば起きるはずもないとわかった事柄です。 遅刻するのではとか、失業してしまうのではとか、期日に間に合わないとか、人間関係などです。 次に30%は、過去の出来事、今更どうにもならないことに対する悩みでした。 そして12%は、健康に関するもので、大部分、無用の心配でした。 たとえば、痛みや病気、不快感などですが、そう思っているだけで何の根拠もありませんでした。 10%は、まったく些細な悩みでした。 駐車料金が足りるだろうかとか、電話をくれるだろうかといった日常的な心配でした。 唯一8%の悩みだけが、大変重要なものでした。 このうちの半分、つまり4%は、自分の範疇外の心配でした。 どこかで戦争が起きやしないかといった類のものです。 そんなことを心配したってどうにもならないでしょう。 つまり、この調査でわかったことは、心配している悩みの96%、あるいはそれ以上が問題にならないもので、起こるはずも無く、心配に値しないものでした。

悩みはどこからくるのでしょう。 精神的なものです。 事実、もし両親が心配性な家庭で育ったとしたら、あなたも心配性になるでしょう。 これは条件反射なのです。

あなたにとって大切な両親が心配しているのを見れば、あなたも一緒になって心配をしてしまいます。 4,5歳の子どもで、すっかり心配性になって、いつも両親と一緒になって何でもないことを心配し続けている子どもを知っていますが、自分の空想を現実と錯覚しているに過ぎません。

さあ、そこで、悩みを消すのに役立つ秘訣を2,3お教えしましょう。

第一、最も一般的なものですが、これです。 日々を精一杯生きる。 日々を精一杯生きる。 明日のことは心配しないことです。 半年後、一年後にどんなことが起こるかなど心配せず、今できることを精一杯やることです。 ルーズベルトの素晴らしい言葉があります。 こんな言葉です。 「今自分の持てるもので今持てることをしなさい。そして、それ以外は何も心配しないことだ」 「今自分の持てるもので今持てることをしなさい。それ以外は何も心配しないことだ」

心配を克服する第二の鍵は、私自信、仕事上でさまざまな難問を抱えていますが、事実を把握することです。 これは重要なことです。 事実を把握する。 見せ掛けの事実、一点を捉えた事実、思い込んでいる事実ではなく、真実を捉えることです。 時間を掛けて状況を良く調べ、真実は何かを見つけてください。 殆どの心配は、十分に事実を把握できれば消滅するものです。

もし、誰かが何かをしたとかしなかったとか、仕事や生活や人間関係に変化があるだろうなどと耳にしたときには、確認するのです。 その人を呼んで、正しい情報を仕入れ、答えを見つけることです。 そうすれば、その事実によって心配は解消されるでしょう。 心配性の人の多くは、実際に何が起こっているのか確かめようともせず、ただ心配しているだけなのです。

人に尋ね、調査し、本を読んだり、下調べをして、事実を把握するのです。 仕事での成功にしろ、他の方面での努力に対する成果にしろ、大切なことは必要な事実を把握することです。 そうすれば、正しい最新の答えが見つかるでしょう。

第三は、ゴーストバスターならぬ、ウォリーバスターです。 心配事やっつけ人ともいうこの言葉は、このセミナーの卒業生が考えたものですが、文字通り、仕事や精神の病気に役立ったということです。 これは最も簡単なテクニックですが、強烈な効果があり、4つのステップから成っています。

まず第一ですが、もし気になることがあれば、書き出して明確にすることです。 書き出して明確にする。 落ち着いて書き出してみることです。 何を心配しているんだろうかと落ち着いて書き出すことです。 心配の種はこれで、その状況はこうなっていると書き出すのです。 医学では正しい診断ができれば、半分は治ったも同然と言われています。 正しい診断です。 書き出すことによって50%は解消するのです。

さて、ここで大事なことは、もしあなたがとてつもなく大きな問題を抱えていたり、複数の問題を抱えているのなら、これを複合状態と言いますが、まあ、大抵は3つや4つの問題は抱えているものですが、書き出して明確にすることです。 1,2,3,4、こんな風に小さな問題が重なって心配している場合は、その一つが解消すれば他の問題も自然と解消することもあります。 本当に大変なのは一つだけで、他は大した問題ではないこともあるのです。 問題を書き出して明確にすることです。

二番目、こうして書き出したら、ここが大切なのですが、最悪の結果を図ることです。 最悪の結果は何か、つまり、こうした状況の結果として予想される最悪の結果は何かということです。 そのままにしておいたら、どんな最悪の状態になるか、それを予測することです。 ところで、面白いことに、心配というものは事件そのものが心配の種ではなく、更にいえば、私たちを悩ますのは事件ではなく、その予感なのですが、そうならないようにと願ったり、祈ったりする心理的抵抗が心を悩ますので、もし、最悪の結果を心の中で予測し、書き出すことによって、起こりうる最悪の結果はこうなるだろうということを明確にし、紙に書き出せば、驚くほど心配は消滅します。 最悪の結果を認識すれば、心配は消滅するのです。

ストレスは、そうなりたくないと思うから起きるのです。 また後で話しますが、これは否定する心の表れです。 否定です。 たとえば、あなたが何かに投資したとしましょう。 そして、どんどん悪化したとします。 そこで考えるべきは、この投資の最悪の結果は何だろうかということです。 最悪はすべてを失うかもしれないということです。 いったんそう思えば、それ以上はあまり心配しなくなります。 結果がわかっているからです。

第三のステップ、ああ、その前に人間関係についてお話ししましょう。 時として、人間関係が不味くなることもありますが、さて最悪の状態は何でしょう。 考えられる最悪の状態とは、その人との人間関係を失うことですね。 だからって死ぬほどのことかい。 投資に失敗したからといって、失業したからといって、人間関係がダメになったからといって、死ぬほどのことかね。  答えはもちろんノーです。 どんな状況からでも立ち直れるのです。

さて、第三のステップです。 ところで、よく癌の兆候があっても、それを知らされるのを嫌がって、 医者に行こうとしない人が良くいますね。 知りたくないと思う気持ちが益々状況を悪化させることになり、やっと決心して医者に行ったときには、もう手遅れになってしまっている、癌だと告知されるのが嫌で医者に行かず、助かる時期を外してしまったのです。 で、第三、起こるべき、最悪の結果を受けて立つ覚悟をすることです。 起こるべき最悪の結果を受けて立つ覚悟をする。 受身になるとか運命論ではなく、ただ為す術が無くそうなるしかないのだったら、受けて立とうということです。

私が常に考えているのが、為す術が無いのなら、それに耐えよ。 為す術が無いのなら、それに耐えることと言うことです。 わかった、そうなるならそれを受け入れ、それと共存する術を学ぼう、それに潰されることもないし、死ぬようなこともないさと言えることです。

第四のステップ、最悪の状態をより良くするために、直ちに行動を起こすことです。 どういうことかというと、起きてしまったことに対してはそれを受け入れ、その状態とうまく共存していこうと決心することです。 そうなれば、事前にすべての手を打って、最悪は免れるようにするはずです。

仕事ではこれを、ミニマックスと呼んでいます。 つまり、大きな後悔を最小限に抑えることで、何が最悪なことであり、後悔を最小限にするためには、何ができるかという意味です。 このミニマックスの技法は素晴らしいテクニックで、心をすっかり晴れさせてくれます。 使い勝手からいって、最良の方法と言えるでしょう。

紙の中央にこのように縦線を引き、上の方に横線を引いてください。 そしてここにWPO、あ、失礼、ここには問題点を書いてください。 つまり、あなたが今悩んでいる問題点です。 そして、ここにWPO、最悪の結果と書きます。 そして、1、悩みはこれで言葉に出して書き込み、その最悪の結果はこれこれ、

2つめ、悩みはこれでこの最悪の結果はこれこれといったように書いていきます。 これをやれば、問題は解消されていくでしょう。 もちろん、全部というわけにはいきませんが、ストレスや緊張の殆どはなくなり、 心が澄み、その澄んだ心で、効果的な対処ができるようになるでしょう。

さて、心配事の否定的な現象に対する、最後のステップは、解毒剤は何かということです。 心配の解毒剤は何か、何だと思いますか。 簡単です。 目的を持った行動です。 心配に対する解毒剤は、これしかありません。 あなたにそういう行動を取らせるすべてのものが解毒剤なのです。

シェークスピアも言っているように、「困難な海に武器を持って立ち向かえ、そうすれば、いつかは終わりを告げるのです」。 目的を持った行動が取れるなら、何であれ、あなたの心配を取り除けるのです。 というのも、これこそが「置き換えの法則」だからです。

問題に取り組み、解決法を考え、目的のある行動を取れるようにしないと、常に心配に尽きまとわれます。 心配に当てるような時間は、なるべく作らないことです。 心配は、否定的目標設定と言えます。

前に「集中の法則」についてお話しましたね。 これは何であれ、拘れば大きくなるということでした。 心配事があるとき、どんな行動をしていると思いますか。 あなたの取っている行動と言えば、自分の望まないことについてクヨクヨと考え、話し、それに固執し、イメージしているだけなのです。 「期待の法則」とは望んでいれば実現するというもので、嫌なことをいつも考えていれば起きてしまうと本にも書かれています。 「引力の法則」は、自分の核となる考えに沿った人間環境や環境を引き付けるとしています。 心配に対していろいろなことを言ってきたのは、心配をまったくしない人たちもあるからです。

ところで、こうした最悪の結果を覚悟し、心配を吹き飛ばす方法は、同時に意思決定の素晴らしい方法でもあるのです。 何らかの状況に陥り、いずれかの断を下さなければならなくなったとき、まず考えるべきことは、起こりうる最悪のことは何かということです。

あの世界有数の資産家ホルゲッティも、この最悪を覚悟する方法を、自分の係わっている取り引きで段を下さなければならないときは、いつも活用していたと言っています。 どんな状況になっても、いつも彼は起こり得る最悪の状況は何かを考え、そうならない手を打ったのです。 さあ、たった今から、心配や想像と現実の錯覚などを吹き飛ばし、起こり得る最悪の結果を受けて立つ覚悟をし、心配事を克服し、常にできるだけ建設的な行動に全力を注ぐことを心に誓ってください。

これこそが、最悪の否定的感情を取り除く秘訣なのです。
 
 

07 心のブレーキをはずす

メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」
07 心のブレーキをはずす

否定的感情の研究の中で、最も重要な発見、それは否定的感情を持ち続けている限り、健康、幸福、愛、充実感を手にすることも、前に進むことも望めないということです。 この感情の長所があるとすれば、フロイトの言うように、それは永久的なものではないという、この一点です。 潜在意識の中で、この感情が永遠に居座れる場所はありません。 言い換えれば、招かれざる客と言えるでしょう。

こうした否定的な反応や行動パターンは、取り除くことができます。 それがどこから来たのか、原因を突き止めることから始めましょう。 それにはまず、大人になった今でも抜けきれないでいる否定的にものを見る習慣が芽生え育った子ども時代にまでさかのぼって考えることが必要です。 幼年期の環境が大切なのです。

前に、この抑圧的、かつ強迫観念的この否定的感情のそもそもの発端は、激しい叱責を受けたことだと申し上げましたね。 この無思慮とも言える叱責は、すべてを壊します。 それによって、子どもは心が傷つき、表に放り出されたような気持ちになるのです。 人格が傷つき、破壊し、また自尊心を貶めるものとしてや、この無思慮な叱責以外は、思いつく限り他にはないでしょう。

激しい叱責は、殺し屋と言えます。 なぜ、そんなに悪いのかというと、子どもというのは幼年期から成長期の間は、両親の深い愛情を必要としているのは、みなさんもよくご存知の通りです。 事実、精神科医も心理学者も、心の病の第一の原因は、子ども時代に十分に親の愛情を受けられなかったことにあると言っています。

感化力を持つ人、すなわち、子どもにとって大切な人というのは、子どもに驚くほど大きな影響を与えます。 それに子どもというのは、6歳くらいになるまでは親から叱られても、それが正当なものかどうでないかを見分けることはできません。 特に、両親とか年上の兄弟、親戚などの感化力を持った人、あるいは大切な人の言うことは、すべて真実だと受け止めてしまいます。 そうです。正当性のある意見として受け止めます。

もし、母親に悪い子ねと言われ、父親からはお前は怠け者だと言われ、周りの人から当てにならない子とか、本当に不器用で可愛くないダメな子だねと言われると、子どもは正当性を見分けることはできませんから、すべてを正しい意見として受け入れてしまうのです。 それは意識を通り抜け、潜在意識へと直進し、蓄積されます。 そして、大人になっても、子ども時代にインプットされた否定的な情報を基盤として生きているので、自分はこんな程度さとか、昔からこうなんだとか、中には、これは家系でね、父親もそうだったし、子どもだってそうだよ、そうそう母親もそうだった、などと言うようになるのです。

どうでしょう。 家系なんてことは有り得ないのです。

例えば、私が成長期の頃は、大変な状況で、両親は大変なダメージを受けました。 ですから、その時代に何かをねだろうものなら、私の両親はキッとなって、うちにはそんなゆとりはないんだ、そんなゆとりはない、そして経済的、精神的ゆとりも無く、私の両親は一生を過ごしました。 ですから、私はこういう環境で育ったので、自身では恐慌を経験したわけでもないのに、10年、20年、30年、40年経った今でも、私にはそんなゆとりはない、私にはそんなゆとりはないと言ってしまうのです。 親がいつも深刻に言っていたことを、今でも影響を受けているのです。

あなたも私のように、いつも父親から何度も繰り返し、お前は何でも途中で投げ出す、お前は何でも途中で投げ出す、と言われませんでしたか。 私は大人になっても、物事を終わりまでやり遂げるのは大変苦手でした。 もうすぐ終わりになるという端になると、どうにかそれを遅らせる口実は無いものか必死になって探し出そうとしました。

さて、否定的感情を持つようになる第二の要因、それは愛の欠乏です。 子どもの人格は、両親が与える愛情の質の高さと、その量に応じて成長します。 愛情の量と質に正比例して、健全なる人格が育っていくのです。 愛情の不足とか愛情の欠乏が、成人時の不幸、否定的感情、心の病を引き起こす元となります。

さて、子どもが真の愛情を感じるには、高い自己概念を持つ両親であることが絶対条件ですが、残念ながら、多くの両親は彼らの両親の犠牲で、その両親はそのまた両親の犠牲者という具合なのです。 ある作家の言うように、みんな各々が犠牲者の犠牲者というわけです。 私たちの両親にしても、できるだけ良い方法で子どもを育てるつもりはあったのですが、彼らも犠牲者の一人なのです。

子どもが両親の豊かな愛情を感じるには、3つの条件があります。

第一の条件、これは両親が自分自身を愛していること、自分自身に対する愛の深さ以上には、他人を愛することはできないということを知っていてください。 自分すら愛せないのなら、子どもを愛することなどできません。 ホンの少しでも自分を愛しているなら、その愛を子どもに広げてください。 自分に対して少し愛情があったとしても、誰かにその愛を傷つけられると、子どもを愛したいと思っても愛そのものが無くなり、子どもを愛することができなくなります。 あなたの両親だって、あなたを愛したいと思ったはずです。

第二の条件、これは両親が互いに愛し合っていることです。 子どもが自信、つまり、自分が愛され安全で守られてると時間して育つには、まず、愛し合っている両親の存在が必要となります。 子どもにとって両親がいつも喧嘩ばかりをしていたり、両親の間に愛情も無く、生活の苦しい環境で育つことほど恐ろしいものはありません。 というのは、大抵の場合、子どもが第一の犠牲者となるからです。 こんな環境では、子どもはいつも怒鳴られるので、両親の仲が悪いのは自分のせいだと思ってしまいます。

さて、興味深い調査結果があります。 今日、片親だけの家族は数多くありますが、こうした別居とか離婚によって片親だけの家族になりますと、子どもというのはもう一方の親が出て行った原因はきっと自分にあると思い込んでしまうというものでした。 ですから、結婚生活が破綻し、片親が居なくなる場合、子どもを引き取った父親、あるいは母親が、子どもに、自分たちの関係がうまくいかなくなったのはあなたには何の関係も無く、自分たち自身の問題からなのだと、何度も何度も言って聞かせることが非常に重要になります。 子どもが自分のせいだと確信しないうちに、何度も繰り返し言って聞かせることが必要です。 もちろん、いがみ合ってばかりいる両親の元より、片親でも自分を愛してくれる親の元で育つ方が、子どもにとっては良いのかもしれません。

さて、第三の絶対条件は、両親が子どもを心から愛していることです。 たとえ子どもを愛していたとしても、その愛が心からのものでなくてはなりません。 わかりきったことで、理にも適っていますよね。 しかし、実際のところ、こんなことを考えるだけでも辛いのですが、両親が心から自分を愛していなかったということは有り得るのです。 そのつもりもあり、愛したいとも思い、愛情の対象として見てもいたのですが、夫婦の対立があったり、両親とのいざこざや戦争、不況があったり、仕事やその責任などで忙しく、そこまで気が回らなかっただけなのです。 ただ、そこまで気が回らなかっただけなのです。 生活が苦しかったかもしれません。 その気持ちはあったのに、気が回らなかったのです。

子どもを本当に愛することは、子どもと質・量ともに十分な時間を過ごしてはじめて成せるものなのです。 質・量ともに十分な時間を過ごすことです。 一日に十分程度ではダメです。 子どもは自分たちにとって一番大切な人が、自分と過ごしてくれるその時間の長さに応じて、自分の価値を図ります。 一番大切な人、つまり両親がわずかな時間しか一緒に居てくれないのは、それは自分に原因があると思い込んでしまうのです。 何か自分に決定的な欠陥があるから、両親が一緒に居てくれないのだと思ってしまいます。

子どもとは理性ではなく、感情だけで考えます。 つまり、両親が居るときは愛されていると感じ、一緒に居てくれないのは愛されていないのだと思うのです。 ですから、子どもの成長期にはこの三つの条件は最低必要条件となります。 自分を愛していない両親だったり、両親の仲が悪かったり、あるいは、そのつもりはあってもゆとりが無く愛情が注げないと、子どもはいつも酷い叱責を受けるため、罪悪感を持って成長していくのです。

罪悪感とは、自分が価値の無い存在だと感じることです。 こんな気持ちになるのは、自分の人生で最も大切な人から必要としてる愛も与えられず、絶えず激しい叱責を受けたことが原因です。 自分が価値の無い役立たずな存在と感じてしまうのです。 自分は価値が無い存在だと思わせます。 罪悪感は、無価値を生み出します。 自分は価値がない。

この罪悪感、自分が価値の無い存在だという感覚は、今世紀の問題となっている心の病の大きな原因となっています。 とりわけ、人間関係の悩み、心身症など、現代社会を悩ます殆どの問題は、心に深く根付いた罪悪感と、自分は大した人間じゃない、自分は大した人間じゃない、大した人間じゃないという考えが見え隠れする、この無価値感に原因があると言えます。

前にも自尊心が如何に大切かということを説明しましたね。 つまり、自分が好きだ、自分が好きだ、自分が好きだという気持ちのことです。 小さい頃からひどく叱られ育った人というのは、自分を好きになれないばかりでなく、人の役に何も立っていない、自分をいつも感じるようになります。 そう、自己嫌悪に陥っているのです。 自分を嫌だと思い、自己非難をしています。 そういう考え方は、会話や人間関係に伺うことができます。

自己嫌悪を持っている人は、自分では良い人間関係を持ちたいと思っていても、その能力を持ち合わせていません。 自分を役立たず者といつも思っていると、人にもそれがわかるものです。 困った問題です。

では、罪悪感の主たる原因とは何でしょう。 実際はどこから来るのでしょう。  これには3つの否定的根源があります。 それは、否定的両親と否定的影響、否定的宗教の3つで、そのいずれもが罪悪感を悪用します。 特に、両親と宗教による自己非難は、2つの理由でこれを意図的に利用しています。

その一つは、罰を与えるためです。 子どもが何か悪いことをしたとき、自分が悪かったと感じさせるには罰を与えるのが一番簡単です。 親というのは、体罰、あるいは口で酷く叱って悪かったと感じさせようとします。 罰を与えることは、子どもを服従させたり、自分の思い通りにさせるには最も手っ取り早い方法なのです。

もう一つの理由は、良心に問うためで、宗教団体などはこれを意図的に利用して、管理、つまり人の感情をコントロールしようとします。 人の感情をコントロールするためなのです。 罪悪感をうまく利用すれば、人の心をコントロールでき、その行動をも操れるからです。 多くの宗教団体が、人をコントロールする道具としてこの罪悪感を利用しています。 もし、人の心をうまくコントロールできるのなら、その人は人のお金や時間、協力、才能などを思いのままに操れます。 事実、多くの組織には罰則があり、罪悪感をそのための道具に使っています。

良くテレビで宣伝しているチャリティー、特に恵まれない子どものチャリティーとか、身体障害者のチャリティーなどは、これを利用したものです。 これは、自分だけヌクヌクとしていて恵まれない人たちに悪いとは思いませんか、幾らかのお金さえ送れば少しは罪の意識も薄らぐでしょう、と言っているようなものです。

こんなことは日常茶飯事ですが、なぜこうも多いのでしょうか。 それは第一に、誰もが多少の差こそあれ、罪悪感を持っているからです。 第二に、最も簡単だからです。 親が子どもの罪悪感を利用するのは、なぜだと思われますか。 それはどんな場合でも、子どもをコントロールできるからで、どんなに遠く離れていても可能なのです。

親が子どもの罪悪感を利用するのは、自分たちもそうされてきたからなのです。 最も簡単な方法で、何の努力もいりません。 チラッと子どもを見て言えば良いのです。 人は最も楽なやり方を選ぶものです。 くれぐれも注意してください。

さて、こんな風に絶えずあなたも罪悪感を植えつけられて育ってきているので、きっとお分かりになると思いますが、この罪悪感というのは、ゴミ溜め、あるいは心や潜在意識に巣食って、あらゆる否定的な感情を育てるバクテリアのようなものです。 それは怒り、憎しみ、羨望、恨み、フラストレーション、欲求不満、懐疑、恐怖感等々の感情を繁殖させ、更にはそれらを操ります。 ですから、この感情を元から絶つには、追い払って完全に閉め出してしまうことが大切です。

そこで、その方法をお教えしましょう。

まず第一に、自分に罪悪感が根付いているかどうかをどのように見分けられますか。 まずはこれを、成人の罪悪感の兆候と名づけましょう。 ちょっとしたテストで、その重傷度がわかります。

まず、その兆候の一つに劣等感があります。 劣等感です。 これは自分が不適切、また不相応と感じることです。 自分は幸せに値しないと思ってはいませんか。 酷い叱責を受けながら育ち罪悪感が身についてしまうと、人はたとえ成功を手にしても後になって自分は本当はそれに値しないのではないかと考えてしまうような、とんでもない傾向があります。 これを成功への恐怖と言います。

こういう人間は、自分のことを価値の無い人間とか、大した人間ではないと思い込んでいるので、成功しても快適ではなく、大変緊張し、不安になってしまうのです。 事実、緊張が講じると麻薬に走ったり、アルコールに依存したりして、自滅的な行動をとるようになります。 それはまるで、誰かに見破られてしまうのではないかという、殺しがたい不安を持ってしまうからなのです。

ある本にも、何もかもウマくいくと返ってペテン師になった気分だと書いてありますが、それはペテン師症候群と呼ばれるものです。 皆さんも何かがうまくいった時に、周りから「おいすごいじゃないか」と言われたことがおありでしょう。 そんなとき、それがあなたの涙ぐましい努力の結果にも拘らず、さほど優秀でもないのにそんなことができたなんてまぐれ当たりもいいことさ、単なる偶然で、皆の言うようにたまたまうまくいっただけで次はきっと失敗するだろう、と自分でも感じてしまうことはありませんか。  こういう人たちは、この劣等感から逃れるためには、ありとあらゆることをします。 用心してください。

罪悪感の兆候の第二に、激しい自己叱責があります。 ある詩人の言葉にこんなのがあります。 邪悪なものに見せられたものは邪悪を行う。 2,3歳の子どもでさえ、激しい叱責をいつも受けていると自分自身をけなしたり、自らの心をズタズタにしたり、時には、自分自身を叩いたりして自分で体罰を与えたりするようになります。 これは、自分はまだまだ良い子じゃないかとか、大して良い子ではないという思いを自分を罰することで表現しているのです。 激しい自己叱責は、罪悪感や無能感を表す兆候です。

第三の兆候は、罪悪感によって操られることです。 あなたの罪悪感を引き出すなんて簡単なことです。 事実、人には2つのタイプがあることがわかりました。 罪悪感を植え付ける人と、植え付けられる人です。 これらの人々は、常に互いに惹かれ合うのです。 しかも、罪悪感を植え付ける人はその親も同様に植え付ける人であり、植え付けられる人もその親は同様に植え付けられるタイプです。しかし、この2つのタイプは互いに馬が合い、うまくバランスを取りながら自分たちの次の世代を同じように育てていきます。

こういう下地があるので、私たちは罪悪感を引き合いに出されると簡単に操られてしまうのです。 あなたの上司だって、あなたの罪悪感を引き出すことができますし、バスに乗り合わせた人だって同じことができます。 くれぐれも注意してください。

罪悪感の第四の兆候は、自分でもそれを利用できることです。 罪悪感と責任転嫁を惜しみなく使います。 なぜなら、あなた自身もそうされて来たのでお返しするのが公平な取引きというのです。 ですから、惜しみなく使うのです。 人間関係も、これを軸として形作られますから、何か不味いことが起きると人にこれを被らす、つまり責任転嫁をします。 問題が起きると、すぐ誰かのせいにしようとします。

面白い実験が数年前に行われました。 それは、さほど寒くない日に、あるはずもない氷を歩道に置いて、そこを通り過ぎる人がどう反応するかを見るものです。 通りを人が歩いてきます。 歩道に置いた氷を踏み、バランスを失って転びそうになります。 すると、自分の一番近いところにいた人をまるで酷く腹を立てているかのようにキッと睨みつけます。 つまり、その人のせいと言わんばかりです。 反対に、近くに誰もいなかった場合は、身体を立て直しながら、周りを見回し、本当に誰もいないとわかると地面を蹴飛ばし、踏みつけ、通り過ぎて行きます。

そうなんです。 人間には、何か不味いことが起きると、決まって誰かのせいにしようとする傾向があるのです。 いつも責められて育った人なら尚更のことです。

第五の兆候は、いわゆる被害者的発言です。 皆さん「集中の法則」を思い出してください。 何であれ、こだわれば大きくなるという法則でしたね。 ですから、被害者的発言をしていると、罪悪感も育ち、増強させ、確立させ、役立たせようとします。 被害者的発言は、できない、できないという言葉です。 自分にはできない、できないということは、潜在意識に語りかけていることであり、潜在意識は、あなたを役立たず者でコントロールも利かない憐れな者としてインプットします。 ですから、本当に何かやりたいことが見つかっても、この潜在意識が、キミには無理だ、キミには無理だ、と言ってしまうのです。

また、そうしなければと思ったとしても、どうしようもない、関係ないと潜在意識は答えます。 他にも注意しなければならない、被害者的な発言が2つあります。 1つは、まぁ努力はしてみよう。 どうであれ、努力はしてみようという言葉です。 これは本当に意味するところは、たぶん失敗するだろう、前もって断っているのだから、後でボクを責めないでくれと言っているのです。 他にも、なるべく間に合うように努力します、というのがありますが、たぶん遅れるだろうが、遅れたからといってボクを責めるのは間違いだと言っているのです。 努力だけはしてみようというのは、前もって失敗の言い訳をしているのです。

病院へ行って、医者の診察を受けたとします。 精密検査も受けて、医者から、「かなり酷い状態ですね。今すぐ入院してバイパス手術を受けなければ助かりませんよ。ここまで良く来られたものですね」と言われ、先生、手術は大丈夫ですね、と聞き返したとき、医者が、「ええ、努力はしましょう」と言われたら、どうしますか。 ちょっと待ってください。 他の意見も聞いてみたいと思いますのでとなるでしょう。

弁護士に事の成り行きを話し、「守ってくれますか」と言うと、答えは「努力してみましょう」。 つまり、弁護士は、「私の調べた限りでは結果は良くないでしょう。でも、一応引き受けましょう。努力はしてみます」と言うことです。 そして、前金を払わせようとします。

もう一つの禁句は、前にもお話しした「努力はしてみましょう」と関連しています。 「努力しています」の代わりに「やろう」あるいは「やるまい」を使うことです。 私は仕事で忙しい毎日を過ごしていますが、こんなときに誰かにものを頼んだりすると、必ず、「金曜日までにそれを届けるようには努力はしてみます」とか、「間に合うように努力はしてみます」とか答えます。 そう言われると、「あぁ、責任逃れをしたいのだな」と感じます。

私たちは「努力はしてみます」という言葉は使ってはいけません。 やれるにせよ、やれないにせよ、ハッキリとして欲しいのです。 必要なら取りに行っても良いのです。 努力はしてみましょうと言ったら、見栄を売っていると思ってください。 注意してください。

もう一つの禁句は、「だといいけどな」という言葉です。 この言葉は、自分の願望や目標に何のやる気も見えません。 この「だといいけどな」の意味は、「何かこうなるといいなと思っているけれど、そんな風になるわけはない」という意味が隠されています。 「もっと痩せたいな」という言葉の裏には、「それは無理だ」という言葉が隠されているのです。

なぜできないのでしょう。 できないわけは、すべての問題に関して回避しようとして、いつも言い訳をしているからで、どんな場合も理由付けします。 禁煙できたら良いのに、減量したいなとか、いろいろできたらいいのにと思うことがあります。 この「できたらいいのに」という言葉を使うことに、「それを達成したり、手に入れることは無理だ」と思っているシグナルが潜在意識に送られます。 そして、そのことを達成不可能な目標としてインプットし、達成するための活力、やる気、駆り立てる気持ち、欲求をあなたに与えようとしません。 ですから、被害者的発言には厳重に注意してください。

そしてまた、「はい、やってみます。でも…」という言葉にも注意しましょう。 誰かに、どうしてしないのと聞かれて、でも、と答えたら、この「でも」は消しゴムのような働きをします。 収入も増え、生産能力も上がり、人格も優れ、もっと幸せで、体重も落とせ、すべてがうまく行くのに誰かに言われて、「ええ、でも」と言ったら、その人のいった言葉をすべて打ち消していることと同じなのです。 あなたは潜在意識に不可能を伝達するので、その目標達成のための、何の努力も、エネルギーも、やる気も生まれてこないのです。

罪悪感を持ちながら育った人は、5つの特質、いわゆる兆候を持っています。 第一は、劣等感、無能感、自分は素晴らしいことに値しないと考えています。注意してください。 第二は、常に自分をおとしめて、自分を責めることです。 第三は、罪悪感を使い、自分や他人を責めることです。 四、罪悪感に操られてしまう。 五、被害者発言をする。

さて、罪悪感を無くすためには、どうすれば良いのでしょうか。 ところで、このこうはこんなにキレイに消えました。 私たちにも、すべてをうまく活かせる魔法の杖がすぐそこにあるのです。

さて、自分についている罪悪感を取り除くには、どうすればいいか、それには大変重要な2,3のステップを踏まなくてはなりません。

第一のステップは、まずはじめに、自己叱責を止めることです。 激しい自己叱責を止めてください。 もっと言えば、自分を酷く非難するような言葉を決して口にしないことです。 言ってはいけません。それが基本ルールです。 潜在意識は、あなたが口にしたことはすべて真実で、命令として受け止めます。 ですから、心からこうはなって欲しくないと思っていることは、口に出さないでください。 自分はデブだ、疲れたよとか、無理だ、こうしなくては、なんて言わないでください。 心から望んでいることだけを口にするのです。 「私は…」の後に続く言葉を、潜在意識は命令として受け止めますが、 「だといいけどな」とか「努力はしてみます」はダメです。 ただ、自分に関する積極的な言葉を使いましょう。

私は自分が好きだ、自分が好きだ、自分にはできる、絶対やってみせる、決めたんだ、決してできないなんて口にしてはいけません。

第二は、罪悪感に操られないと硬く決心することです。 罪悪感に操られることを拒絶するのです。 いつも、誰かにあなたの罪悪感を操られているとどうなるかわかりますか。 そう、あなたの人生に、罪悪感が及ぼす影響が益々増え、しかも強力になっていきます。 私の少年時代、私の家族は否定的宗教を信じ、その影響を強く受けていました。 実際、私の母などは、罪深さを強調する黒いベルトを付け、罪悪感の塊のような人でした。 私はその影響から抜け出すまで何年も掛かりました。

妻バーバラも、私と同じような家庭環境で育ちました。 そこで私たちは、本当の仕方を決めました。 それは、どちらかが一方が昔の癖に戻りそうなときには、 「私にまた罪悪感を思い出させるつもりはないでしょう」と互いに聞き合うようにしたのです。 「罪悪感を感じさせるつもりなんてないんでしょう」と言うだけで、この罪悪感によって人から操られることは無くなります。

第三に、罪悪感や責任転嫁を止めることです。 そんなものを利用しないと宣言してください。 他の人にもそれを用いることを止めるよう、子どもや配偶者にも、「罪悪感を感じさせるつもりはないでしょう」と言わせてください。 これを繰り返し、時には「もちろんそのつもりだよ」と言われても、「そんなことを言っても無駄さ。平気さ」と答えるようになります。 罪悪感に操られないように、くれぐれも注意してください。

第四は、「寛容の法則」と言われるものです。 これは最も重要な事項で、核ともいうべきもので、このセッションの真髄となるものです。 「寛容の法則」とは、腹の立つことがあっても、それを受け流し、忘れてあげることのできる人は、 健全なる精神を持っている証拠で、この人を許容できる能力こそ、人生でも幸せ、成功を決定付ける鍵となると言えるものです。 そしてまた、これこそが罪悪感を取り除く、ただ一つの方法でもあります。

あなたが人を許し、過去の嫌なことを水に流そうという気持ちは、大人として調和が取れた機能をしているかどうかを決める鍵でもあるのです。 というのは、人を責めたり恨んだりする傾向は、心が病んでいる人が共通に持っている子どもっぽい病的な傾向であり、反対に、腹の立つことを水に流し、人を許し受け入れる能力こそ、真に聡明な大人の証と言えるのです。 その通りだと思われるでしょう。

是非とも許すべき3人の人がいます。

まず第一に、両親です。 過去、両親があなたの傷つけたすべてを許すのです。 私たち大人が抱えている悩みの多くは、自分を傷つけた両親の行動を許せないでいることが原因となっているのは、調査の結果からも明白です。 手紙を書いたり、電話をして、許すと言ってあげてください。 少なくとも、心の中では許してあげることです。 100%許してあげなさい。

二番目は、周囲の人です。 誰も彼も許すのです。 何かのことであなたを傷つけてしまった人でも許してあげなさい。 水に流してあげましょう。 もちろん、中にはアイツには本当に酷いことをされたから許せない人もいるでしょうが、人を許すことは、まったく自分本位の問題です。 人を許すことは、他人をどうこうする問題ではありません。 それは単に、自分の心の平安と、心の調和の確立に係わる問題なのです。

第三、それは自分自身を許しなさい。 自分がしてきた維持の悪い、無分別な、間の抜けた、愚かな、馬鹿げたこと、すべてを許してください。 そんなことをするのは、何もあなたに限ったことではなく、私たちはみな同じことをしてきているのです。 さぁ、100%あなた自信を許してください。

最後に、もう一つやるべきことは、もし、あなたが過去に傷つけた人がいるのなら、言って許しを請いなさい。 たった一言、ごめんなさい、という、オオキやラッツ、そして勇気ない人によって、驚くほど多くの人々の人生が損なわれているのです。

人生で最も大切なことの一つは、人格を高めることです。 困難なことに挑み、正しいと信じることを行うことができるよう、人格を高めていきましょう。 それがたとえ、どんなに難しくても、また気持ちの上で無理があったとしても、それに挑戦してください。

罪悪感を取り除くにしても、十分に機能している人間になるためにも、人を許すことが決め手となります。 自分と係わりあった人たち、たとえば、昔の雇用主、あなたを傷つけてしまった友人、損をさせた投資会社、あなたを首にした上司、そして両親など、すべての人を許しなさい。 人に対して、いつまでも恨みを持つようなことは、きっぱりと止める生き方を培ってください。 そして、何度も何度も繰り返し、あの人を許そう、この人も許そう、すべてを許そう、あの人もこの人も許そう、すべてを許そうと言って忘れてしまうのです。

否定的感情から自分を解き放つ秘訣は、否定的な材料を明日へ持ち越さないことです。 それは、自分本位の行動なのですから、思うがままにすれば良いのです。 人を許すことは、あなたを解放し、他の人も自由にし、それはあなたの潜在能力の開花を急速に促すことに繋がります。

 
 

2010年9月4日土曜日

06 ネガティブな感情を取り除く

メモ書き
ブライアン・トレーシー 「達成の心理学」

06 ネガティブな感情を取り除く

引き続き、責任と無責任についてお話しましょう。

私は1972年に形而上学に興味を持ち、人間の潜在能力の発達と心理について勉強していました。 そのとき、あることに思い当たりショックを受けました。 今でもショックが続いています。 それは、無責任さと否定的感情はリンクし合うということです。 リンクし合うというのは、つまり、否定的感情は私たちの人生を大いに阻んだり、ダメにしてしまうという事実です。

人生の目的は、言うなれば、より高い心の平安、幸福、充実感、満足感を得ることです。 落ち着いてこう自問してください。 人生の真の喜びと手にするのを妨げているものは何か。 その答えは決まってある種の否定的感情です。

さて、私たちはいつも日々味わっている否定的感情、誰かが死んだとか、莫大な被害に遭ったとか、とうことについてくどくど言うつもりはありません。 心の平安や健康、活力を奪い、豊かな人間関係、経済的自由、充足感などを蝕むものについて、話すつもりはありません。

ここでは、その否定的感情を取り除くことから責任感を持つということについて話したいと思います。 これは私にとって人生最大の発見の一つですが、つまり、こういうことです。

表を書いて説明しましょう。 こんな表です。 上から下へと書いていきます。 この高いところは、非常に責任感の強い人を表し、こういう人は自信にみなぎり、自分に責任が持て、言い訳など絶対にしません。 一方こちらは、無責任な人を表し、こういう人は何事にも言い訳をする人です。 ここが積極性の最高で、こちらが最低です。 私たちは誰でも、何か決心をするときに、この表を行ったり来たりするのです。

さて、私が閃いたというのは、前にもちょっと触れましたが、人生の舵を自分で握っていると感じるその度合いは、自分の積極性や幸福の度合いと正比例するということです。 つまり、自分で引き受ける責任の度合いと、自分で人生をコントロールしている度合いは正比例の関係にあるのです。 また、責任を引き受ける度合いは、自分が持っていると感じる自主性とも正比例すると言えるでしょう。 自主性というのは、幸福の絶対条件です。 真の成功、真の幸せとは、周囲の意見ではなく、自分の生き方を自分の意思で決め、自由に生きることを言います。 鳥のように自由に羽ばたくことなのです。 そうです、責任、コントロール、そして自由は直接関係し合い、更にこの3つは積極的感情とも直接結びついています。

さて、積極的感情はすばらしい感情で、幸福、愛、喜び、活力、エネルギー、豊かさ、情熱、興奮などを指します。 しかし、反対に、もう一方の端は無責任な生き方を表すものです。 どうなると思いますか。 私もどうなるかわかったときには本当にショックでした。 というのは、コントロールを失ってしまうのです。 無責任であればあるほど、コントロールを失い、心の均衡が崩れてしまい、自分の人生の舵取りもできなくなってしまうのです。 自分の人生の決定権を失い、しかも、外的な力によって翻弄され、言うなれば、外的力の犠牲者になってしまうのです。 このコントロールと自主性の欠如は、否定的感情への第一ステップと言えます。

このことがわかりかけたとき、私はなるほど、でも両親や自分の子ども時代はというと、仕事にも恵まれなかったし、大した友達もいなかったし、体の調子も、健康だって、経済的にも大したことはなかったなぁと思いました。 同時に、こういうことは忘れることに気付いたのです。  あなたの最終目的、目標が、幸福感とか喜び、自主性、情熱などの積極的感情に満たされることならば、言い訳などしないようにすることです。

精神分析医として有名なカール・ネルガーは、こんな面白いことを言いました。 つまり、肉体的疾患にはいろいろあり、その原因もバクテリア、ウイルスなどといろいろだが、心の疾患は皆同じであり、違うのはその程度の差が大きいか小さいかだけだ、と。 更に、精神科医のトーマス・サレズは、心の疾患の神話という著書の中で、 「心の疾患などというものは無い。それは単にさまざまな度合いの無責任さに他ならない」と言っています。

無責任な人というのは、悲観的、否定的というだけではなく、心が病んでいる人でもあります。 反対に、すべてに自分の責任が取れる人は、心も健康です。 どう思いますか。

さて、私は皆さんを向上心溢れる人にだと思います。 こういうセミナーに参加するほどですから。 自分の会社の業績にどれくらい責任を持とうとするか、その量の大きさと会社で得られる権力、影響力、地位の高さとは切っても切れない関係にあるのです。 それは将来ともに係わってくるのです。

責任感のグラフでトップにいる人は、責任を全面的に取れる人で、権力やチャンスはこういう人たちのところに引き寄せられるのです。 反対側の端は、無気力で、ここに居る人たちというのは、まったく無責任でコントロールを完全に失っています。 こういう人たちには強制服を着させ、安全保護室に閉じ込めるのが本人の為でもあり、周りの為でもあるのです。無気力でコントロールが効かず、自主性が無いのですから。

さて、自分で責任を取ろうとするたびに、このグラフの上へと動いて行きます。 反対に、言い訳をするたびにグラフを下降します。

では、否定的感情と無責任さとの関係について、もう少し詳しくお話しましょう。 そうすれば、もっと良く理解できるはずです。

たとえば、そう、ここに木があるとします。 いいですか、これが幹で、これが葉です。 これを否定的感情の木とでも呼びましょう。 この木には否定的感情しか実りません。 たとえば、恐怖感とか不信感がそうです。 その中でも、自己不信が最悪だとする意見が多々あります。 この感情は、酷く人を消極的にします。 更に、憎しみという否定的感情があります。 羨望や恨み、これに準じる罪悪感があります。 根強い否定的感情です。 否定的感情には54種類あると言われていますが、今言った感情は常に上位を占めています。 もし、こういう否定的感情を煮詰めていくとお気に入りの感情が残ります。 人というのは、何かしらお気に入りの否定的感情を持っているもので、嫉妬心の場合もあるでしょうし、自己憐憫などもかなり多くあります。 更に煮詰めていくと、最終的には怒りの感情になるのです。 それが、内側に向けばこれは自分が傷つきますし、外側に向いたときには人が傷つきます。

さて、ここでこの木の構造を調べてみましょう。 この木には根があります。 この根から栄養が送られて木が育ち、花が咲き、否定的感情という実が育つのです。 根を調べると、何が栄養になっているのだろう、何が否定的感情を育て、肥料は何なのだろう、何を燃やしているのだろう、何を埋めるのだろうと疑問に思います。 そして、木が生きるには2つのことを必要とすることがわかります。

1つは自己正当化です。 自己正当化、つまり、なぜこうした感情を持つのか、その正当性を自分や人に対して言い訳をするのです。 もう一つは、いわゆる自己同一化です。 つまり、物事を自分と結びつけて捉えます。

人というのは、自分が自分の弁護士になるなんてそんなことはありえませんし、自分が自分の医者にもなれるわけはありません。 というのは、あまりにも自分とその状況とを結びつけて考えるあまり、非常に感情移入がされて盲目的になるからです。 ですから、大いに説明できるような正当な理由が無ければ、否定的感情など持つ必要はありません。  この感情には、自己の正当化と自己同一化が必要になります。

たとえば、もし誰かが今駐車場で他の車にぶつけてしまったと言ったとしても、自分の車と関連付けない限り、あなたは何の動揺もしませんね。 しかし、もし彼らのぶつけた車があなたの車で、そのまま逃げられてしまったとしたら、それこそ本当に頭に来るでしょう。 しかし、このような反応は自分が選んでいるのです。 これについてはあとで説明しましょう。

さて、自己正当化はどうすれば無くせるか、また否定的感情の根を絶やすにはどうすればいいのでしょう。

この木を枯らすには、物事を裁かないようにすることです。 聖書にも裁かれたくなければ裁くなと書いてあります。 取り分け、聖書は哲学書であり、物理学、生き方の教科書でもあります。 物事を裁くのをできるだけ避けなさい。 あの人のせいだとか、この人がしたことだと言って裁かずに、オープンで偏らないようにしてください。 偏らないことが秘訣です。 これで否定的感情を抑止できます。

否定的感情については、長年の研究の結果、これは火花のようにスパークするということです。 私たちが、この感情に拘り、正当化し、結果を裁こうとすれば、それは大きくなります。 そしてついには、心を埋め尽くしてしまいます。

次は、自己同一化についてですが、 これに対して成すべきことは、非同一化することです。 客観的に偏らずに捉えてください。 一歩引いて捉えるのです。 問題があるが、私がその問題ではないとか、障害があるが、それも私ではないなどと思ってください。

まず、この2つの正当化と同一化を止めるのです。 物事を自分と結び付けないで、感情移入をしないことです。

こんな経験はありませんか。 何か悩みを持った人が相談に来たとき、あなたの方があまりにも感情移入して係わる為に、本人は当にケロリとしているのに、自分はいつまでもカッとなっていたりしたこと、これは物事をあまりにも自分と結びつけて考えてしまった結果なのです。

しかし、ここに否定的感情を取り除く秘訣があります。 これが最も重要なことですが、この幹、幹から切り倒すことです。 この幹とは他人のせいにする感情のことで、否定的感情の99%も占めるのです。 このような否定的感情がどこから生まれるのかを知ることは大変重要です。 これは内面から外へ出される感情で、外的なものに端を発していません。 つまり、周りの人や状況から生まれるものではなく、周りの状況への反応の仕方から生じるのです。

良い例があります。 二人の人が同じ状況に遭ったとします。 交通渋滞とか、態度の悪いウエイターなど、何か事が起きると一方頭に来たり、イライラしたり、怒ったりしますが、もう一方の人は悠然としているのです。

また、こんな例もあります。 同じ人でも、日によって違います。 会社に遅れそうになって慌てて家を出たところ、交通渋滞に巻き込またりします。 すると頭に来てイライラします。 でも、次の日は早めに起き、余裕を持って会社に出掛けます。 そこで、交通渋滞に巻き込まれても、まったく気にならないのです。

この2つの話は、否定的感情が状況から生まれるものではないことを表しています。 つまり、生活の上で、どんな質の感情を選ぶかはあなたの自由です。 怒りたければ怒ればいい、いいですか、誰かに言われたわけではないのです。 怒りにせよ、緊張にせよ、またイライラにせよ、誰にもそうしろと言われたわけではありません。 どんな気持ちを持つかは、あなたの自由裁量です。 ですから、気をつけていないと、いつも人のせいにするような否定的行動パターンが癖になってしまいます。 これは、否定的感情の核を成すものです。

人のせいにすることを止めれば、この否定的感情の木を切り倒せます。 そうなれば、一瞬のうちに否定的感情を元から絶つことができます。 ちょうど、この否定的感情はクリスマスツリー、いや、それよりむしろ、フラグに繋がれたチカチカ光る豆電球のようなものです。 この豆電球のプラグを引き抜くと、どうなると思いますか。 そうです。 明かり、つまり、否定的感情は一瞬にして消えてしまいます。

そうなるためには、どうするか。 「置き換えの法則」を活用すればいいのです。 この法則は、意識は一度に一つのことしか考えられないと言っています。 どういう感情を持つかを決めるのは、この意識です。 そして、潜在意識に作用しています。 この意識は、一度に一つのことしか考えられないのです。 ですから、否定的感情の元凶となる「人のせいにする考え」を叩き出してください。 代わりに、私は責任が取れる、私は責任が取れると断言すれば良いのです。

これを、私は自分が好きだ、という言葉を一緒に言えば、これほど積極性を養うのに効果的な言葉はありません。 私は責任が取れる、と言った瞬間にあなたはもう人生のハンドルを握っているのです。 この言葉を言って、否定的感情に成ってしまう人は居ません。 これで意識の中からマイナス思考を叩き出しましょう。

さあ、始めてみましょう。 誰だって腹が立つことはあります。 そのことのことを思い出すだけで、腹が立つこともあるでしょうし、そのことのことを考えただけで、腹が立ったり、気が滅入る場合もあるでしょう。 この状況に陥りそうになったとき、こう言って中和してください。

ちょっとまてよ、それは自分の責任なんだ。

悩みや人間関係ですか。では、そうなったのは誰のせい。 銃でも突きつけられましたか。 それとも、自分で招いたのですか。 悩みは仕事ですか。 それとも、投資問題、健康問題かもしれませんね。 何にせよ、自分で責任を取るのです。
さて、責任を取ることと、ちょっと書いてみましょう。 責任と責任転嫁の違いを考えてみましょう。 責任転嫁をするときは、いつも過去に目を向けています。 もうどうにもならない済んでしまった過去に目を向けているのです。 それに対し、責任を取ることは未来に目を向けています。 中には、責任を取るということは、責めを負うことと同じではないかという人がいますが、それは違います。 この瞬間から、自分の考えに対して、責任を取ることを言っているのです。

さて、駐車場の話に戻りましょう。 誰かがあなたの車にぶつけました。 さあ、そこで選択です。 怒ったり、頭にきて怒鳴り散らすのもいいでしょうし、落ち着いた態度で臨むのも良いでしょう。 また、犯人を必死に探すのも自由ですし、分別ある態度で臨むのも自由です。 責任を取るということは、いつも未来を見つめて、何か事が起きたときには、誰がしたのかではなく、これから何ができるかを問題にしてください。 これから何ができるかです。 これからどうなり、それに対して何ができるか、こう考えるのが責任ある人の態度と言えます。 過ぎたことをあれこれ言わず、解決方法は何だろうと考え、見つけ出してください。 これが必勝法です。

反対に、無責任な人はいつも誰がやったかを問題にし、その犯人を執拗に見つけようとします。 どんな責任でも皆に割り当てないと気が済みません。 無論、こんなことをしても何の解決にもなりません。 ですから、否定的感情を無くすコツは、まず斧を使って責任転嫁の幹を切り倒すことです。 責任転嫁を止められるようになれば、輝かしい未来に向かって離陸です。 責任転嫁をしないことは、否定的感情も無いわけですから、あなたが望む幸せを邪魔していた物事が、突然姿を消してしまいます。

私がこの否定的感情に拘るわけをもう少し詳しく説明しましょう。

実は発見したのです。 私も潜在能力を発揮したいと強く思っていたので、おの発見は驚きでもありました。 それはまず、自分の否定的感情を取り除こうと思わなければ、人は前に進めないということです。 つまり、進歩できないのです。 自分の否定的感情を今この瞬間に捨ててください。 さもなければ、一歩も前に進むことはできません。

ところで、周囲の人や状況に対する否定的感情を持っている場合、これはなかなか責任を取るという気持ちにはなれないものです。 初めのうちは、私に責任があると言いにくいものです。 というのは、責任転嫁が癖になっているからなのです。 でも、時には歯を食いしばって、自分の責任だ、自分の責任だ、と言ってみるのです。 自分の責任だ、自分の責任だ、と繰り返し言えば言うほど、だんだん簡単に言えるようになります。 事実、「置き換えの法則」を活用すれば、たとえ嫌なことを思い出しても、自分の考えと中和することができるようになります。 それでこう言ってください、私の責任だと。

苦手な相手との付き合いに応用する言葉があります。 これは自尊心と否定的感情を絶つことにも関係しますが、この言葉です。 たとえ人に何を言われ、されようと、私は貴重な価値ある存在だ、あるいは、状況がどう変わろうとやはり私は貴重で価値ある存在だ、状況がどう変わろうと私は貴重な価値ある存在だ、という言葉です。

人生の自然の流れは長い道に喩えることができます。 幼い頃は最初から否定的感情などありませんから、誰かが子どもに教えているに違いありません。 子どもは両親から教えられ、身に付けていくのです。 否定的感情を持っている赤ん坊など見たことがありますか。 いつもニコニコしていて、幸せそのものです。 赤ん坊が泣くのは、何か欲しいときだけです。 成長するに従い、周囲の大人の影響を受け、この感情が生まれ、それを背負って生きます。 十代になると、この荷物はもっと大きくなり、仲の良い友達と集まっては夜通し、子ども時代は惨めだったとか、両親や兄弟、先生たちはなんてくだらない人たちだ、などと話し合ったりします。

では、大人になったという証はなんだと思いますか。 それは否定的感情の大きな荷を背負って苦しむこと、これが証です。 苦しむことが証なのです。 つまり、人と居るときはいつもガードを解いて、悩みや苦しみなどの殺し合いをするようになります。 つまり、否定的感情をやり取りすることが、人間関係の基になってしまうのです。

悩みを聞かせてくれれば私も話そう。 こんな子どもじみた行動は、まるでガラクタ市の商人と同じで、さあ見てくれ、惨めなる子ども時代を、酷い人間関係を、出来の悪い上司を、まったく散々だと言ってるようなものです。 そして、互いに嘆きあっているのです。 こんな風に否定的感情を話し合ったり、考えたりしているとどうなると思います。 「集中の法則」です。 なんであれ、こだわれば成長します。 成長して、力も強くなり、活き活きしてきます。
ところで、私も研究するうちにわかったのですが、否定的感情はとても脆く、拘りが必要です。 いつも鮮明にして居たければ、言い続けることが必要なのです。 常に口に出していることです。 さもなければ、たちまち枯れてしまいます。 死んでしまうのです。 また炎のようでもあり、絶えず燃料を補給しないと炎は弱くなり消えてしまいます。 同じように、否定的感情もいつも口に出していなければ、いつも拘っていなければ消えてしまうのです。

しかし、何かすごく心配したり、頭にきたりして、いつもそのことで頭がいっぱいになっているのに、仕事に行って3、4時間忙しくて、それ以外は何も考える間もなく働いていると、ふと、あれ、悩みを忘れてしまった、そうだ思い出した、なんて経験、皆さんもあるでしょう。 何が起きたかというと、悩みが消えかけているのです。 炎のように消えかけているのです。 ですから、元の悩んでいる状態に戻るには、努力して思い出して考え、話、悩まなくてはなりません。

こんなこと良くありますね。

でも、分別のある大人なら、こんな感情は道端に捨て、前向きな人生を歩み出し、歩いていきます。 これからの人生をうまくやっていくのです。 わざわざ掘り起こすさずに捨てていきます。 それはまるで、回収されないゴミの山のようです。 そうすると、人から調子はどうだい、うまくいってるかいと聞かれれば、最高さと答え、人間関係や健康、気分について聞かれれば、絶好調と答え、決まって否定的なことは口にしません。 否定的なことを口にすると、それは育ち、ひいては悪いことを引き込んでしまいます。

悩んでいる人を観察したください。 こういう人たちは、悩んでばかりいて、解決方法を見つけ出そうともせず、常に愚痴を溢しています。 持てる者は更に与えられ、持たざる者は更に奪われるということです。
もう一つ、これも研究の結果わかったのですが、 人間関係に関する重要な点は、誰でも悩んでばかりいると、悩むこと自体が好きになります。 つまり、悩むことに生き甲斐を感じるのです。生き甲斐になるのです。 それだけの代償を払った気になってしまい、つまり、長年悩みを抱きながら暮らしてきたため、それを手放そうとはしません。 そうです、放そうとはしないのです。 たとえ、ねえ、どうして忘れようとしないんだい、捨ててしまえばいいのにと言ってあげても、無理だよ、君にはわからないよ、人間関係にせよ、仕事にせよ、昇進にせよ、どれだけの想いをしてきたことかと反論するはずです。

私も人間関係で悩んでいる人たちの相談に乗りました。 彼らは決まって、私はもう長い間こんな人間関係、こんな結婚生活を続けてきたが、本当に惨めな気持ちだ。 もう愛情も無いし、どうなるものでもないというので、なぜ何とかしないのですか、と私が言うと、今更何をと答えるので、君今我々の平均寿命は75歳から80歳なんだよ。 それでも年々伸びて、今世紀の終わりには80歳から85歳、いや90歳になるだろう。 どういうことかわかりますか。 あなたは今何歳であろうと、20歳、25歳、あるいは35歳であろうと、そんなことは問題ではありません。 平均寿命の80歳から今の年齢を引いた年数、この年数を現状のまま過ごすことになるんですよ。 こんな現状のままで残りの人生を過ごしても良いんですか。 もちろんノーですよね。 こんな状態が続くなんて。

悩むことが好きな人がいます。 こういう人は、悩みを手放そうとしません。 そこで思いついたちょっとした解決法があります。 それを最近、あるカウンセラーに話したところ、実に簡単な方法だと太鼓判を押してくれました。 どんな方法かお教えしましょう。

これはもし誰かに相談に乗って欲しいと頼まれたときは、イエスと言って親身になって話を聞いてあげるのです。 その人の話に耳を傾け、全部吐き出させてあげることはとても効果があります。 中には愚痴ばかり並び立てる人も居ますが、こういう人に対してはじっくり聞いてあげることです。 また、同じ事を繰り返し話す人には、頃合をみてこう言ってください。 う~ん、ほんとにそうだね。 気持ちは良くわかるよ。 でも、自分の人生には責任を持たなくてはね。 責任があるんだよ。それでどうしたいの。 自分の人生に責任を持たなければね。 どうしたら良いと思う。 こう聞くと、きっとあなたの友達は、確かに君の言うとおり、自分で人生を変えなくてはね、なんとかしなくては、と答えて、本当にそうするよう努力を始めるはずです。

事実、悩みを持った人が来て、いろいろ悩みを話したら、ただあなたは、では君はいったい何をすべきだと思うかね、と言ってあげさえすればいいんです。 そうすれば、あなたの友人は話しながら、自分の考えをまとめ、自分で解決法を見つけます。 本当はアドバイスなんて必要としていないのです。 大抵の人は、アドバイスを求めていないのです。 昔から、アドバイスをしたって、その通りにする人はいないのだから、アドバイスをしようとして気を揉むことはないと言われているように、人はアドバイスを求めているわけではなく、ただ共鳴してもらいたいのです。

しかし、中には問題に取り組もうとさえしない人も居ますが、こういう人は、悩みを種にして、あなたに聞いてもらう切っ掛けが欲しいだけなのです。 悩みを種にしているんです。 わかるでしょう。 自分の悩みを話の種にしようとすることは良くあります。 私の悩みはこれだ、一緒に話し合おうじゃないか、と言うようにね。 あなたにはまったく興味は無いんです。 相手は誰でも良いんです。 ただ、聞いてもらいたいだけなんです。

よく冗談で言うんですが、こういう人はあなたのことをこんな風に見ているんです。 いいですか。 こんな風に見ているんです。 これが顔、目、耳という風に捉えています。 そして、ああこの人の目は大きくて、同情的な目で、口は閉じてるけれど、耳は立てて聞こうとしていると思っているんです。 人間として見てないのです。 そして、あなたの悩みにも関心がありません。 ただただ、あなたに聞いてもらって、同情して相槌を打って欲しいのです。 アドバイスをしても従うつもりはありません。
こういう人と出会ったら、友情テストする簡単な方法があります。 それはあなた自身の話をしてみるのです。 君が相談に来てくれて本当に嬉しいよ。 私にも悩みがあってね。 折り入って相談したいと思ったんだ。 次の瞬間、そういう人は時計を見て、あっ、約束を思い出した、と言って、そそくさと立ち去るでしょう。 その早いことと言ったらありません。

さて、最後の重要なポイントに進めましょう。 このセッションで最も肝心なポイントです。 言うならば、まとめとでも言いましょうか。 私が否定的感情を捨てましょうと言うと、誰もが決まって、はいおっしゃるとおりです、筋の通った話しです、私もこの感情を捨て、もっと自分の人生に責任を持とうと思います。 自分の人生は自分でコントロールし、責任転嫁は決してすまい。 ただあることを除いては、と言います。 一つくらい捨てきれないものがあります。 長年苦しんで抱えてきた否定的感情が一つあるものです。 でも、是非捨てなくてはいけません。

その理由を説明しましょう。

ここにすばらしいベンツがあるとしましょう。 ピカピカの新車、600SELで20万ドルもするものです。 どこをとっても完璧な車です。 傷もありません。 ただし、この車のフロントの部分に、ちょっとした問題があるのです。 メカニック上の問題で、ブレーキがロックされてしまっているのです。 あなたのように美しい心と体を持ち、潜在能力にも恵まれ、すばらしいボディに内装、秘めた力を持ち、馬力十分で、キャパシティも驚くばかりです。

さて、600SELのベンツに乗り込んでアクセルを踏んでください。 さあ、どうなるでしょう。 ブレーキはロックされたままです。 そうです。 たとえあなたがアクセルをどんなに強く踏み込んでも、この通り、車はスピンしてクルクル回ってしまいます。 アクセルを放さない限り、スピンし続けます。 フロントブレーキがロックされている限りは、車は前には走らないのです。

つまり、こういうことです。 この否定的感情がたった一つでも残っていれば、それがどんな理由であれ、大体はエゴからくる理由なんですが、同じ場所でスピンしてクルクル回り続け、一生、そこから一歩も先には進めなくなってしまうのです。 才能に恵まれ、チャンスにも恵まれて、教育も高いのに、いつも堂々巡りをしている人がいますよね。 少なくとも、そう見える人がいます。 すべてに恵まれ、うまく行っているのに、次々と悩みを抱える人がいるのはなぜでしょう。

精神分析によると、こういう人は決まって否定的感情、言うならば、その感情の核となる責任転嫁の癖が当たり前になってしまっているのです。 いつも誰かのせいにします。 誰かに酷いことをされて、あいつのせいだと未だに忘れられず、許せない人が居るのです。 思い当たるでしょう。

というのは、私たちは皆、同じ人間だからです。 私もあなたも、わざわざ悩みを抱え込もうとする傾向にあるので、この話が良くわかるのです。 人は十字架を背負いたがる傾向があります。 そして、こういう否定的感情も人間性の一部だと思ってしまいます。 誰かのせいにできないかと考える傾向にあるのです。 あの人は私を傷つけたとか、騙したとか、人間関係をダメにしたと考えやすいのです。

すばらしい実績、最高の幸福、成功への鍵は「置き換えの法則」を活用して、否定的感情を叩き出すことです。 誰かにストレスを与えられてると考えたら、すぐに私の責任だ、ちょっと待てよ、私の責任だ、私の責任だ、私の責任だ、私は自分が好きだ、私の責任だ、自分が好きだ、自分の責任だ、と交互に私の心の平安が崩れたのは誰のせいでもない、私の感情も人生も、すべて自分がコントロールしているのだと言ってください。

そうです。 あなたは、責任が取れるのです。